映画のこと‥

映画館に行って映画を見るようになったのは
10年ほど前かな、子供達がそれぞれ大きくなり私が居なくてもさほど、問題なく、
むしろ居ない方が都合が良くなってきた頃だと思う。

お茶屋さんをしていた親戚の家の隣が映画館だった。
小学校に入る頃。
切符売り場の窓口に顔が出るか出ないかの背丈
こんにちは!と挨拶してそのまま映画館に入っていく。
もぎりの人とは顔見知りだったが、そう何度も見逃してくれる筈もなく、腰を低くし見えないようにささっと侵入しちゃっかり2階の桟敷席に座り身を乗り出し見入ったものだ。
チャンバラ映画が殆どで、「大川橋蔵」や「中村錦之助」が(敬称略)全盛の頃、物語は勧善懲悪、見終わってスッキリ気分爽快な映画。
映画館から出た瞬間、従兄弟たちとチャンバラが始まる。
子供達が騒いでも叱られない広場があり、
近所の人の温かい目がそこにはあった。
昭和30年代の町の風景だ。

中学生の頃見た「サウンドオブミュージック」は
大好きな映画の中の1本で何度映画館に足を運んだか。
確か70?映画の走りだったので、電車で難波まで出かけて行き大きなスクリーンで見たあの瞬間の心の高揚は今でも身体のどこかに残っている。

スイスの山々の素晴らしい風景、
ジュリーアンドリュースが歌いだす
「サウンドオブミュージック」空撮でどこまでも広がっていく。
平和な世界を感じさせる冒頭のシーンだが
物語の背景には戦争とナチスが深く関わってくる。
70?カラー映画
今で言うハイビジョンを初めて観たような美しさだった。
1964年製作 第38回アカデミー賞 作品、監督、編曲、音楽、編集賞、5部門受賞。
1965年 日本 公開。

映画館には何故か一人で出かけて行った。
クロードルルーシュ監督の「男と女」確か満員で立って見た。
当時立ち見は特別なことではなかった。
アヌーク・エーメ、ジャン・ルイ・トランティニアン‥
10代でこの映画は、おませだったかな。
大人の世界を覗いているような感覚とあこがれ‥
背伸びしていたころだ。
モノクロとカラーの映像が二人の心を語り
フランシス・レイのボサノバっぽい音楽がゆっくりと
正体不明の何かを掻き立ててくれたのは確かだった。
1966年製作 第39回アカデミー賞外国映画賞受賞、オリジナル脚本賞 受賞

日本映画が斜陽になっていくなか
任侠映画と「男はつらいよ」は日本人の心を捕らえて
離さなかった。

その後私は子育てに追われ
レンタルビデオも観る気持ちにはなれず
当然映画を観に行くことも出来ない時間がずっと続き
約10年前にさかのぼるのだ。

私が再度、映画館に行って映画を見るきっかけを
作ってくれた人が何人か居る。
その中でもB氏は年間120本以上の映画を観る人だ。
A級、B級、国を問わず‥
映画評論家でもない、バーのご主人だ。
映画がどんなに面白いか 人生においてどのような
エッセンスを与えてくれるかを、情熱を込めて話してくれた。
いや、今もそれは変わらず、映画を観たらその人のところに走って行きたくなる‥。
いい映画も、そうでもなかった映画についても一杯飲みながら語り合う楽しさ‥笑い、怒り、涙し
そこには映画を見た人の人生も重なり
いつか旅した風景や記憶、夢、明日への希望
あらゆる感情を呼び起こしてくれる。
大人の男が目頭を熱くする姿を階間見るのはなかなか
いいものだ。
そんなことが楽しみを百倍にしてくれるのかもしれない。
1年に私が見るのはほんの20本前後だが
この楽しみが有る限り
これからも映画館に行って映画を見続けたいと思う。