原宿クリームソーダ 山崎真行

1970年代後半。
まだラフォーレが教会だった頃。
私は久しぶりに会った常やんに原宿の「キングコング」という飲み屋さんに連れて行ってもらった。
そこには大きなドーベルマンがいてびっくりしたことを憶えている。
その犬の飼い主でお店のご主人の山ちゃんを紹介された。
小柄でほっそりとした優しげな
でも皮ジャンにリーゼントというスタイル、だったかな、いや夏だったから
アロハっぽいシャツだったかもしれない。
それがやまちゃんとの出会い
すぐに仲良くなった。

やまちゃんは多才な人で「Cream Soda」という洋服屋さんを原宿に出した途端
売れて売れてあっと言う間に原宿の「伝説の人」となってしまった。
お店には常にロックンロールが流れ
アメリカングラフィティに出て繰るようなTシャツや小物
店員さんは全員黒の皮ジャンにリーゼント
お尻のポケットには櫛が入っていてテカテカのリーゼントをいつもなでていた。
女の子はポニーテールに赤い口紅
日本中どこを探してもないやまちゃんのお店だった。
それ以来原宿に行くとお店に立ち寄り
やまちゃんと珈琲を飲みながらいろんな話しをした。
アイディアの宝庫で目をきらきらさせながら何時間も話してくれたっけ。
当時ならではの武勇伝も沢山聞いた。
でも目の前にいるやまちゃんはいつも穏やかで優しい人だった。
そのギャップが魅力的だった。

タバコと珈琲が大好きで私の話もよく聞いてくれて。
世の中がクリームソーダに注目し、ビッグビジネスの話しが持ちあがっても一切振り向かずある意味アマチュアリズムを貫き通した人だ。
その後、「ガレッジパラダイス」「シンガポールナイト」
お母さんのお名前で「菊」という和食屋さんも作った。
当時走りだったタイ料理レストラン「KABARA」
シェフはもちろんタイから呼び寄せ
インテリアからカトラリーまですべてデザイナーにオーダーというこだわりで
クリエイティビティ溢れるものだった。

そのKABARAが入っていた渋谷の自社ビルは1階が「Pink dragon」
今や日本中の若者で知らない物はいない「キャットストリート」は彼が命名した。
裏原の人の流れも予見していた。
ビルの屋上にはプールがあって娘とよく遊びに行ったものだ。
娘をとても可愛がってくれて
当時お店の店員さんだけで作ったバンド「Black Cats」と一緒に
娘も赤いジャケットにリーゼントスタイルでアルバムの写真を撮った思い出もある。
もう何年もお会いしていなかったが
ついこの間も共通の友人と「やまちゃん、どうしてるかな」と
話したばかり。
やまちゃんはそんな人だった。

そのやまちゃんが亡くなったと連絡が来た。
大好きな犬を散歩に出た時に倒れたとか。
桜満開の美しい季節に愛犬とそのまま逝くなんて
やまちゃんらしい。

やまちゃん
ありがとう。
寂しいけど、お別れに行くね。

「原宿ゴールドラッシュ」森永博志 著 ソニーマガジンズ