カラッポ日記一覧

夏のおわり‥

8月の末、藤沢にある湘南長寿園病院で
歌わせてもらう機会があり、行ってきた。

友人からの紹介で 病院への訪問。
この日を心待ちにしていた。
中庭にはしゃれた椅子とテーブルが置いてあり
午後のおしゃべりには最高の場所。
栽培した野菜を収穫したり
なんともアットホームな雰囲気だ。

リハビリ室を職員の皆さんであっと言う間に片付けてくれ
そこは広いスペースとなった。
平均年齢84才の患者さんとご家族、
そして看護士さん、職員の方、先生方
80人くらい集まってくださったかなあ。
長く入院している方が多く
プロのメイクアップアーティストの「美容デイ」や
人形劇、フラダンス、コンサートと楽しい日々を過ごしてもらいたいと、病院全体で取り組んでおられる。
しっかりとした理念を持った病院で
その熱い気持ちが院内の雰囲気やスタッフの皆さんから伝わってくる。

2時からスタートで1時間弱のライブ。
常やんにギターをお願いしてユニット名
「猫Da文」?

ゆったりとした暖かな空気に包まれて
こちらが癒されてしまった。
人生の大先輩たちと共に過ごせた時間
一緒に歌ってくれた「ふるさと」‥。
また、来ますと約束して別れた。

帰りの車窓から見えた雲はうんと高くて
秋の空だった。

今日はもう9月か。
子供達は新学期だね。


穂高での出会い

 

燕岳〜大天井岳〜常念岳の尾根を縦走
お花畑の中を爽快な気分で歩いたのが
8年くらい前。
その後、誘われるままに八ヶ岳縦走、丹沢、槍ヶ岳、剣岳と日本の名山と言われる2000〜3000m級の山を登り歩き今年、3年ぶりの登山、穂高へ。

長野県をはじめ各地で大きな被害をもたらした大雨と
長引いた梅雨という気象条件が登山に影響を与えた。
天候は最初から織り込み済みではあったが
自然の威力を目の当たりにし
後ずさりをしてしまう場面もあった。
いつもなら見られる幾種類もの高山植物や雷鳥
おしどりや鴨にも殆ど出会えなかった。

しかし、それに勝るとも劣らない出会いがあった。
涸沢ヒュッテの売店の近くに陣取って
3人ビールを飲んでいたら
小さな男の子が、お姉ちゃんと思える女の子と
二人で売店に来た。
それぞれ自分の身体の半分もあろうかと思う
ザックを背負っていた。
男の子は5〜6才、女の子は7〜8才。
靴の後ろに名前が書いてあった
「○△・ほたか」
え〜!3人で目を合わせた。
「穂高くんて名前なんだ‥」
家族でキャンプをするらしくテントを
張ってある場所から駆けてきては
テラスにいる顔見知りの人と話していた。

なぜだか 私はその男の子に釘付けになってしまい
ずっと目で追っていた。
岩場だろうがどこだろうがずっと駆け回っている。
まるこめ味噌のCMに出てくる男の子のような
くりくり頭。
話をしたいという衝動にかられ
そんな機会を待ってはいたが
子供に纏わる嫌な事件が多発している昨今
軽々に声はかけられない。

私達は山が見える場所に移動し引き続き柿ぴーを肴に生ビールを飲んでいたら、彼がやってきてタイミング良く声をかけられた。

常富隊長と吉田副体調も参加し
「ほたかくんて、名前なんだ」
「なんで知ってるの?」とやや引きぎみ。
「靴に書いてあるでしょ」
「なんだ、見たの?」と。
段々近づいてきて人なつっこい目で私を見た。
まっすぐ、しっかりと私の深いところを
見ようとしていてこちらも真剣にならざるを得ない。
「この山と同じ名前なのね」にこっと笑って
淀みなく「うん、僕の山だよ」
小学校1年生だそうだ。
映画の話をしてくれた。
「お母さんがダビンチコードを見に行ったんだよ。
僕も行きたかった。」
小学1年生がダビンチコード‥。
「僕ね、チャーリーとチョコレート工場見たよ」
「うん、見た見た、おもしろかったね」と私。
これは大変、襟を正して向き合わなくては。
そこで当然の如く
「パイレーツ・オブ・カリビアン・デッドマンズ・チェスト」を見た?と聞いたら
「見てないけど、あの大きなタコが出てくるのでしょ。コマーシャルで見たよ〜」と。
ほたかくんもジョニー・デップ ファン?

「怖いぞ〜、泣いちゃうぞ!」と常富隊長。
隊長はほたかくんと同じレベル。
男の人はいつまでたっても子供だ。
それにしても見ておいて良かった。
張り合ってどうする!
「僕、CARSも見たよ!」ニコッ。
「え、それ見てないけど、あ〜車のアニメね」
「そう、おもしろかったよ〜」
ご両親が映画好きなのだろうと想像する。

「ねえねえ名前なんていうの?」
「けいこっていうの」
「ねえねえけいこはさあどこに住んでいるの?」
なんて話しているとご両親がやってきて
そろそろ帰ってらしゃいと。
お母さんに安心してもらう為にご挨拶をして別れた。
山の夕飯は早いからテントでの食事の支度のお手伝いだ。

ふと気が付くと、どこからか歌声が谷間に響く。
上下ジャージー姿、地元、奈川中学のコーラス部の
仲間が歌ってくれた「校歌」と「ふるさと」だ’‥。
久し振りに聴く「ふるさと」は胸に響いた。
♪うさぎおいしかのやま〜♪
この世の楽園とも言える山々を背景に美しい歌声が響き
目を閉じて聴き入った。
ここまで来た甲斐があったと言うものだ。

今回の山での出会い。
北海道から家族4人フェリーでやってきた
ほたかくんファミリー。
奈川中のコーラス部のみんな。
山小屋で気軽に声をかけてくれる登山の先輩達。
かみそり岩で
(北穂高から涸沢までの岩の稜線に勝手につけた名前)
出会った二人の若者。みな優しくあたたかい。

少なかったとは言え、
センジュガンピ、ミヤマキンポウゲ、チングルマ
などの花はやはり心を癒してくれた。
苔の緑が目に鮮やかだった。
吉田さんが教えてくれた蝶々「あさぎまだら」
威風堂々としていた。
上高地「しみずばし」の岩魚。
吹き抜ける風、雲、青い空‥山に行かなければ
触れあうことのできない出会いだった。

翌朝、天候を見に外に出ると
穂高くんが歯磨きをしていた。
「ねえねえちょっと来て」と言われたの
でテラスに座ったら
「昨日お父さんに叱られた」と‥
「どうしたの?」と聞くと
「名前を呼び捨てにしてはいけないよ」と
言われたらしい。うかつであった。
「そうか‥。」
私は子供から名前を呼び捨てにされても構わないが
ほたかくんちの教育方針なのだからそれで良いのだ。
「けいこさん、ごめんなさい。僕もっと話したかった」
ちっともごめんなさいじゃあないのに。
「ううん、こっちこそごめんね、ほたかくんと会えて良かった!またどこかで会えたらいいね。元気でね、さようなら。」
「うん、さようなら!」
私の方こそもっと話していたかった。
恋人と別れるみたいに切なくて涙がでそうになった。
忘れない、きっと。

どんな低い山でも登山に「楽」はないと思う。
今、何故登るのだろう‥

一歩一歩、歩くことで始まり、そして終わる。
登ったら降りなくては家族の待つ家には帰れない。
山で行をする修験者のことを思う。
今、目の前にあることだけに集中していると
雑念がなくなる。
私の場合、余計なことを考える余裕がない
だけなのだけれど。
日常ではできないことを経験しそれを学び、
下界に降りたら実行するぞと‥。

年がら年中、これでいいのかなと不安な気持ちでいる。
誰かがびしっと「それは違うでしょう」と
言ってくれることなんてそうないから
厳しい場に身を置いて身体で感じる何かを
待ってているのかもしれない。
マラソンのときも同じような気持ちだった。
答えはなかなか見つかりそうにないけど
いつか何かが見えてくると嬉しいな。
素晴らしい出会いに感謝!
最後に、カメラと8ミリビデオを持って奮闘してくれた常富喜雄隊長、常に私の後ろにいて気遣ってくれた吉田光夫副隊長、両氏に心からありがとうを!

3人でこっそり試写会するぞ〜!


北海道ライブ2

去年、友人から知らされた「居酒屋拓郎」の存在。
その後、恒平ちゃんがライブをし
今回「猫」と私のライブが実現した。
考えてみるといつも一歩先を恒平ちゃんが歩いてくれ
その足跡をたどるように追いかけていく、私。

お店に入る時には、よし、とお腹に力をいれた。
ここでまた母の一言。
「人生、ええことみっつあったら儲け物やと思いなさい。
お腹に十文字いれてしっかっりしなはれ(笑)」と‥。
幼い頃は「じゅうもんじいれて」の意味が理解できてなかったが
なんとなく「がんばろう」と思ったものだ。
何事にもそれくらいの覚悟で取り組んでいきなさいとの母からの強力なメッセージだった。

店内に入りライブのステージの準備をしている
小林さんに挨拶をしたとき私の不安は解消された。
小林さんは汗をふきながら「初めまして」と
深々と頭を下げられた。
ふと背中を暖かい風がとおり抜けていく。

奥行きのあるお店はカウンターもテーブルを片付けたスペースも
ステージの横にある小上がりも人人で一杯。
ライブが始まる。「猫」サウンドはかっこ良かった!
ステージを見つめるどの瞳もキラキラ輝き
今日を待っていて下さったのだなと、胸が熱くなる。
前日と同じ曲目を緊張の中歌い
ラストに「春の風が吹いていたら」を歌わせてもらった。
伊庭恵子さんの作品で、好きな曲、と言うか
歌う機会が増えこの曲の優しさに触れたと
言った方が正しいかもしれない。

「明るい朝の光より、夕焼け雲の色が好き」

私も夕焼けが好き。

「どこかで泣いている人の心にきっと届くよう‥」

今の私の歌が誰かの心に届くように。

悲しみの涙ではなかったが
止めようのないものだった。
皆が一緒に歌ってくれて嬉しかった。
頑張って歌おうとしたが
だめだった。
ごめんなさい、そしてありがとう。
あの一瞬見えない言葉が
かけがえのないものを連れてきてくれた。
遠い記憶のかけらを乗せて‥。


北海道ライブ

去年の「あんだれ」以来一年ぶりの北海道。
飛行機のチケットの都合で1日早い出発に心躍る。
再会を心待ちに、新しい出会いにも期待する。
週末は北海道も崩れるという予報。
お天気を心配しながら羽田に向かう。

荷物を預けにカウンターに行くと、
丁度3連休の前の金曜日で満席だったこともあり
「恐れ入りますが、ギターはお預け下さい」と言われた。
ソフトケースに入れて背負ってきたので
「お預け」する訳にはいかない。
なんとか持ち込みをさせてもらえるようお願いした。
カウンターの女性二人が何やら相談をし
2,3度行ったり来たり。
結果、機内持ち込みの許可が出た。ありがたい。
大切なギターを抱えて座り込んだ。
運良く、通路反対側の上の方の物入れが空いていて
私のはそこに納めてもらったが
同乗の常やんはそのまま抱えて旭川までの空の旅となった。
着陸前に揺れはしたが、1年振りに北海道に行ける事が
何より嬉しくて、少々の揺れも何のそのである。

旭川空港に着いたのは午後7時前。
宿の近くであちこち店をのぞき込み
食事を済ませ「アーリータイムス」におじゃました。
古い煉瓦の建物は周りの静けさに溶け込み
夜の街に佇んでいた。

壁にはぎっしり並んだLPやCD
今まで出演したアーティストのサイン色紙。
梁にも懐かしい顔のLPのジャケットが張り巡らされて
思わず、うあ〜っ、と声をあげてしまうほどの量だった。
オーナーの野澤さんのたたずまいが緊張感をほぐしてくれる。
30数年前に旭川で録音された
「猫」のライブの音もきかせてもらった。
そこにはあの田口くんの声が‥。あの頃のことが頭を巡り
胸が熱くなった。大久保くんのヴォーカルも懐かしい。

そんな思いを引きずりながら明日のために
「EARLY TIMES」のソーダ割りを一杯飲んで引きあげた。

翌日も予想以上に暑かったがお天気も回復し。
ほっとした。来て下さる方を思うと雨だけは‥と。
猫のメンバーも集まり、リハーサル。
初めての猫とのジョイントだ。

東京で2度リハをしてもらったが、
いつもと違う空気感に慣れず戸惑う。
どうしたら自分でいられるか‥
自分の居場所を確保するためのリハでもあった。
何度か音を出し歌っていくうちにどうにか雰囲気をつかめ
私は私をどうするかおぼろげに見えてきた。
あとは本番に賭けるだけである。

アーリーの2階が控え室になっていて
パリの屋根裏部屋に居るみたいだ。
ここにもたくさんのレコードや本が並んでいて
野澤さんの音楽に対する熱い思いがびんびん伝わってくる。

アーチ型になった窓からいい風が吹き抜けていく。

本番が始まる。高橋真樹君の力強い歌声が開場を包み込む。
そして「猫」リハ以上に3人のハーモニーが響き渡り
なんとも心地良く、日頃、本当に真面目に練習をしている成果を
結果として残してくれた素敵なライブだった。
猫との初のジョイントは、
私にとって新しい歌との出会いでもあった。

地元の方、東京やそれ以外の遠方から来て下さった方から。
暖かく迎えていただき、嬉しかった。
熱い気持ちはステージと客席の隔たりを吹き飛ばしてくれ
気持ち良く楽しく同じ思いが行き交う。

ライブ終了後、何はともあれビールで乾杯!
皆さんとジンギスカン鍋をつっつきながら
わいわいじゅうじゅうゴクゴク。

いつまでも話は尽きなかった。


水茄子のおつけもん

近頃はデパ地下のお漬け物やさんに行けば
必ずと言って良いほど「水茄子」の糠漬けが並んでいる。
私の故郷近辺の特産の茄子を漬けたものである。
ちょうど女性のにぎり拳くらいの大きさ。
ふっくらとした顔立ち、どちらかと言えば「安産型」
綺麗ななす紺の着物をまとっていて外からはわからないが色白でみずみずしい。
年頃で言うと番茶も出花、十八、九と言ったところか。

今でこそ流通が発達しクール宅急便であっという間に
全国に配送でき、お遣い物に歓んでもらえる。
私が幼い頃はお勝手の裏に子供なら一人は充分入りそうな大きな樽の糠床があり
我が母は割烹着の袖をたくし上げ
毎日、よっこらしょとかき回していたものだ。
「毎日手を入れてかき回さないとあかんの、
佳子もお嫁に行ったら旦那さんに美味しいお漬け物
漬けてあげなさいね」と‥。
それから十数年後、その糠床を分けてもらって
母の真似をしてはみたが敢えなく撃沈。

夏になると綺麗な紫のような紺色の水茄子のぬか漬けが朝 夕、食卓に必ず供されていた。
と言っても当時は水茄子という名前では呼ばず
「お茄子のおつけもん」あれがいわゆる「茄子」だったから。
和歌山出身の父は毎朝、茶粥とお漬け物、
お浸しやゆうべの残り物と人参ジュースという奇妙な取り合わせのメニューだった。

特に人参ジュースは今でいう京人参を
(八百屋さんに出回っていたものがあの赤い人参だったので人参はやはりあれが普通だった)
下ろしたものをジューサーで絞り
そこに卵の黄身を落としよくシェイクした飲み物で
今、書きながらも眉をしかめているくらい奇妙な飲物だし、それを毎朝美味しそうに飲んでいる父を
「何を好き好んであんなもの飲むねんやろ」と
パンが朝食の私は横目で見ていた。
母は健康のことを考えて考案したと思われるが‥wうである。

私にとっての水茄子は茄子で、東京に来て初めて茄子を見た時にはあまりに細長いので驚いた記憶がある。
人参はいつの間にかオレンジ色のものが並ぶようになり違和感はなかったが茄子には驚かされた。
一昔前までなかなか東京でお目にかかれず
夏休み、それが楽しみで子供達を連れて実家に帰る。
母はその日の朝、漬けてくれ夕飯にはサラダ感覚で
一人で二個たいらげてしまうほどだった。
皮が薄く柔らかくさくさくとした歯触りとみずみずしさは何とも言えず、子供の頃の思い出と共に、
母に甘えられる喜びで一杯だった。
母はそんな私の顔をのぞき込むように
「美味しい?」と聞く。
「日本一美味しい!幸せ!」と言うと
満面の笑顔。その顔は今でも忘れられず
手を伸ばせばほっぺに触れられそうで
いとおしく温もりまでが蘇る。

デパートに並んでいる水茄子はおすまし顔だ。
たっぷり糠をまといお雛様のよう。
一つ450円〜500円もしてとても買う気になれない。
兄から送られてきたり送料を足して「お取り寄せ」をしても安くて美味しい地元ならではの特権だ。
温暖化のせいなのか真夏の風物だったぬか漬けを
今は初夏の味として楽しんでいる。
しかも故郷から遠く離れた東京で。


OK’s SQUARE2nd

表参道原宿「PENNY LANE」
2回目のソロライブはあの懐かしい店だった。
あいにくの雨‥。
恵みの雨でありますように。
表参道ヒルズを目的に来る人々で原宿は傘の花が咲いていた。

新しいPENNY LANE はライブハウスと姿を変えて現れた。
かつての「ライムライト」を改装して‥。
現在、bar「Kid」のオーナー安田さんがマスターをしていた時には
よく訪れたお店なので、内装は変わってもそこここに
当時の面影があり、二つの思い出が重なりうれしかった。

この日に着る衣装と言うか洋服の買い物に
娘に付き合ってもらった。
渋谷駅のスタバの前で待ち合わせ。
3件ほど見て回ったが、彼女が一緒だと迷わないで済む。
私の好みもよくわかっていてくれているし
気に入ったものを見てもらって「これ、どう?」
と聞くと遠慮会釈なく答えてくれるので話が早い。
買い物に行くのが段々億劫になり出している。
前日、電話で「一緒に行ってくれる〜?」と頼んだら
気持ち良くOKしてくれた。
面倒なことだと思うのに「いいよ〜」と付き合ってくれた
彼女の横顔はもう大人の女性だったなあ。
当たり前か‥。

新しい曲を作りたいと思い始めたのは去年の夏頃。
初めてのソロライブの前からだ。
その時もチャレンジしたが、結果出来なかった。
日々の生活の中から生まれてくる言葉やメロディーが
が私らしいのかなと思いはじめた頃から肩の力が抜け
メモ帳に書いた言葉や昔の詞のノートを引っ張りだし
走り書きをし出した。
逆立ちしたって恒平ちゃんや小室さんにはなれないのだから
私は私でいいかなって。
息子の安いギターで知っているコードを片っ端から
引いて音を確かめためてみる。
そうこうしているうちにあ〜夕飯の時間だわ、と
キッチンで春キャベツの千切りをトントントン。
片手にギター
片手に包丁??

息子の部屋を覗いてみるとあまりの散らかしぶりに母キレて
「もう〜〜いい加減にかたづけなさい〜〜〜!!」ブチ。
掃除機ガアガアしながら血圧も上がりそうになる。
「どうして今時の男の子はTシャツを2枚重ねて着るかなあ!」
洗濯物が倍になる、とブツブツ言いながらベランダで干して
いると、気持ちのいい風がふっと通りぬけて
一瞬現実からワープできる。
そんなどこにでもある日常をしながら生まれたのが
「おしゃべりの続き」と「やくそく」の2曲「約束」
ひらがなと漢字、どっちがいいかなあ。
まだ迷っている。

木村香真良くんと二人で始まったライブ、思いっきり緊張した。
小室さんからもらった大事なキーワードも
どこかに吹っ飛んでしまいそうだった。
しかし新しいことにチャレンジできたのも
前後の見境なく飛び込んでしまう私をOK’s SQUAREの
スタッフの皆さんがしっかりと受け止めてくれた
お陰である。
どんな時も冷静にそしてあたたかく私を
見守ってくれた。

ゲストでありサポートもしてくれた私のアニキ分
恒平ちゃん、いつだってあたたかく一緒は安心。
本当はお世話してもらっている。
普段はお互い、言いたい放題の常やん、
さりげなくあたたかい。
香真良くん、弟?それは言い過ぎ、甥ぐらいにしておいてもらおうかな。寡黙であたたかい。
小室さん、いつも遠くから見ていてくれてあたたい。
上田さん、そっと肩をたたいてくれてあたたかい。
後藤社長、一番上のお兄さん、たのもしくあたたかい。
ゆいちゃん、前世ではもしかしてお母さんだった?
と思うほどあたたかくお世話をしてくれた。

2回目のソロライブを終えて
大きな力に支えられて歌う機会を与えて下さったことに
心から感謝したい。
次回はまた新しい私を見て聴いてもらえるように。
あの日の雨は恵みの雨だったと‥。


落陽レディースデイとよしこちゃん。

4月22日(土)晴れ間も見えていたので暖かいと思いこみ
玄関を出たら結構寒くて。
今の季節、出かける時に選ぶ服を間違えると
夕方から寒くなり困ることがよくある。
ギターを背負い衣装などを入れたガラガラ
(正式名称か何?ずるずる引きずって歩ける便利なバッグ)
と普段持ち歩くバッグを持って駅に向かう。
桜も葉桜になりそろそろ花水木、う〜ん‥新緑の季節だ。
思いっきり深呼吸したい。

今日は落陽の「レディースデイ」に招かれミニライブの日である。
バッキングは「猫」の常やんが快く引き受けてくれた。
有り難いことである。
長いお付き合いから普段はお互い言いたい放題。
とは言えギターを教えてもらったり
何かとアドバイスをしてくれる得難い先輩である。
めんとむかって言うのは照れくさく、感謝感謝!

考えてみると恒平ちゃん以外の人と二人でのライブは
今回が初めて‥?
初めてだ〜。
てなことを考えながら落陽に着くともうkenさん
がお店で準備をしていた。

7時半スタート「ただあたたかくカラッポに」から歌い出した。
顔見知りの方、初めてお会いする方、新しい出会いがある。
女性だけと言う空間でのライブも初めてだが
なかなか普段言えないことを気兼ねなく
(これでも普段は気を使っているということ?)
話しながら只一人の男性
常やんをいじってみたりm(_ _)m
楽しい一時だった。

9時からは男性も参加し、より賑わった。
男女混合になってからも二人で数曲歌わせてもらい
飲みながら美味しいおでんもいただきながら
ふと扉が開き目をやると
なんと元「ピピ&コット」のよしだよしこさんが‥!
近くのライブハウスで歌い終え、私が
落陽にいる事を知り寄って下さったとのこと。
なんとも嬉しかった。
去年、高田渡さんの「お別れの会」以来だ。
彼女の透明感のある美しさにしばし見とれながら
去年、別れ際に「きっとまた会えるよね」と
言いながら連絡先なども交換しないままだったことを話した。
一年の歳月がたち、こうして再会し連絡先を交換した。
新しいアルバム「ア・シ・オ・ト」を聴いていると
25年間のブランクがあったとは思えない。
いや、その25年間が今、よしこさんの歌に流れている。
帰り際に歌ってくれた「スマイル」には感激した。
必ず合おうねと約束して見送った。
よしこちゃん、ありがとう。

それもこれも落陽「レディースデイ」があってこそだった。
この日こうして歌えたことに感謝したい。

さて、お天気も良く洗濯日より。
二度目の洗濯物を干さなくちゃ(^^)/


ペニーレーンでライブ

桜の蕾もまだかたい春の午後、
それは夏の日の夕立のような感覚だった。
二度目のライブの場所を探していた頃
某レコード会社の社長とお会いし、いやはや歳が〜だの
自慢じゃないけど身体のあちこちがきしみだして、等と
我が体調を中心に近況報告をしていた。
何かあれば駆け込みさんざんお世話になった方だ。
「実はね、今度ライブハウスをやろうと思って」と‥。
カミナリに打たれたようにガ〜ンと耳に響いたその一言。
次の瞬間
「そこでライブやらせて下さい」
そしてその、次の瞬間
「いいよ」
「‥。」
「おけいが初めてのブッキングだよ」
優しい笑顔が光っていた。
なんと畏れおおい。社会性に欠けると言うか
怖い物知らずがまた首をもたげてしまったようだ。
大きな気持ちで受け止めて下さった
社長にはただただ感謝である。
LIVE会場を手分けして探していたが
帯に短したすきに長しでなかなか見つからず
「どうするかな〜」と皆で唸っていた矢先だった。
それがたった1分で決定。
決まらない時は決まらず
決まるときは決まる。
「じんせいなんてこん〜なものさ〜♪」だ。
思わず抱きしめたい衝動にかられたが
なんとか押さえられたのは奇跡に近い。
シンクロニシティー?不思議な力を感じてしまう。

あの「PENNY LANE」が新しくライブハウスに衣替えをし
そこで歌えることになるなんて‥感慨深い。
実際はPENNY LANEの隣にあるLIME LIGHTを改装するのだが
ここも思い出深いBARである。

何年前になるだろう‥
仲間が集まって飲める場所を作りたいということから
あの店ができたのは‥皆、若くはじけていた。
当時、もう子供がいた私は飲みにいくことは殆どなく
数えるほどだったと思う。
錚々たる人達が集まり今なお語り継がれている
逸話が生まれた場所でもある。。

そんなえにしのある場所で歌えることになり
不思議な気持ちで歓びを噛みしめている。
今はまだ改装中でどんな雰囲気になるのか楽しみに
待っていたい。
おととい、1回目の打ち合わせを済ませた。
当日はその「えにし」についても話をしたいと思う。

5月20日と決まっていたにもかかわらず
こちらの都合で27日に変更をお願いし
なんとかやりくりしてくれたスタッフの皆さん、
当日忙しいスケジュールをぬって
予定を立てて下さっていた方には大変申し訳なく
ひたすら頭を垂れるのみです。
こころからごめんなさいm(_ _)m

おけい


haru

3月は友人、親戚の誕生日が、七つ。
1才から96才という幅広い層だ。
何もかもこれから始まろうとしている
1才を迎える笑顔の可愛い坊やから
明治生まれ、日本の近代の歴史の動乱を
体験し、その中で家族を守りたくましく
生き抜いてこられた、私にとっては父のような存在の96才まで。たくさんの人生がそこにある。
春は生命が芽生える季節、誕生日を迎えることは
元気で今日という日を迎えられる歓びである。
祝う側にとっても嬉しいことだ
近くの遊歩道の桜のつぼみもふくらみ始めている。
どこからともなく沈丁花の香りが漂い春の訪れを感じる。

私の両親は父が22年前、母が6年前にそれぞれ
お彼岸に他界し、今年は23回忌7回忌と
仲良しだった二人揃っての法要を、無事終えた。
父が亡くなった日は大雨‥
突然の知らせに事情が飲み込めないでいる私は何をどうしたか
気がついたらまだ歩けない息子と5年生の娘を連れて
新大阪駅からのタクシーの中だった。
フロントグラスをたたきつける雨を車中から見ていた。
あれから22年、早いものだ。歩けなかった息子も
独り立ちし,歩き始める歳になった。
久し振りに姉兄4人集まり、迎えの車の中は笑顔に満ち
せまく感じる。そんな中末っ子の私はいつしか
子供の頃に戻っていた。
あの日と同じように大雨の車中、昔話に花が咲き
楽しいドライブでもあった。
父の故郷にある古いちいさなお寺に二人は眠っている。
少しお年を召されたが、ご住職はいつもと変わらぬ良い声で
お経を唱えてくださる。
静寂の中でおごそかに始まった法要は両親との再会に
ふさわしい場であった。
暖かい空気が私を包み優しく頬をなでてくれた。
あれも話そうこれも伝えなくてはと思っていたが
言葉にはならず、目を閉じて優しい空気に身を委ねた。
いつの間にか雨はやみ、私たちは、昔、遊び歩いた懐かしい
路地を自分の人生をなぞるように歩き確かめ
それぞれの家路についた。

頂いた花もそろそろ散りはじめ。
ひらひらと舞いおちる花びらの
なんとはかなく美しいことか。


映画

趣味、映画鑑賞と書いたのに映画のことにあまり
触れてないなかった。今年初めて見た映画の話をしようと思う。
映画の師匠から勧められていた「ホテル・ルワンダ」を見ようと出かけ、そわそわしながら並んでいたら
私の前の人で「満席になりました」と‥。
頭の中はその映画のことで一杯になっていたのでがっかり。
小さな映画館だから仕方ない、
気を取り直し携帯のシネマピアで時間とのタイミングを計り
「単騎・千里を走る」をチョイスした。
高倉健さん主演、チャン・イーモウ監督(初恋の来た道、活きる、等)の映画である。
何を隠そう私は健さんのファンである。
その昔、新宿の映画館で「網走番外地」を
オールナイトで見たのがきっかけ。
ストイックで寡黙な役柄の健さんは強烈な印象で
特に鋭い眼差しは強く十代の私の心に深く焼き付いた。
夜中に出歩く、しちゃいけないことをしたがる年頃だった。
その後、どこかにそんな「過去」を感じさせながら
「幸せの黄色いハンカチ」「はるかなる山の呼び声」「駅」と続く。
数年前、内田吐夢監督の「宮本武蔵」をTVで見たが
主演の萬屋錦之助さんの存在感、脇を固める役者さんはもとより,監督の力量を思い知らされる
素晴らしい日本映画だった。
その映画に健さんは佐々木小次郎の役で出演。
1965年の作品だそうだ。

1956年にデビュー、200本以上の映画に
出演されてから半世紀を殆ど映画の世界で
生きてこられた健さん。
軸がぶれずに生きていくことのすごさを
感じさせてくれる。
礼儀正しく、不器用で義理人情に厚く、
寡黙で‥世間でよく言われているイメージで私も
見させてもらっているが
「単騎・千里を走る」の中にもそんな健さんがいて
中国の美しい風景、山あいの素朴な村人達との
やりとりはせつなく温かい。
人と人が愛し合い、信じあい、語り合うことを
しなければいつまでたっても
争いごとは終わらない‥。
すぐ側にいる人と分かち合うことから始めなくては。
そんなことを素直な気持ちで考えさせられた。
生まれて初めての映画出演、地元の人々の「演技」が
何よりこの映画を際立てている。
ひとそれぞれに歓びや悲しみを抱えて生きていくという事をチャン・イーモウはしっかりと
そして静かに描いてくれた。
健さんもこんな素敵な映画と出逢えて
歓びを噛みしめているだろう。

さて今年は映画の当たり年と言われているそうだ。
う〜ん、楽しみ。
「ホテル・ルワンダ」は必ずや!

追記:「ホテル・ルワンダ」観てきました。
事実を元に制作されたこの映画について
残念ながら今の私にはとても伝える言葉も知識も
持ち合わせていません。
ただ、一人でもたくさんの人に
映画館に足を運んでもらえたらと思います。