カラッポ日記一覧

2006年

昨年の暮れ、クリスマス前に風邪をひき
何年ぶりかで39度代の熱が出た。
平熱が35度代なので顔はまっかっかで歩くとふらふらした。
咳がひどく腹筋がいたくなるほどだった。
これで大幅に予定が狂いお正月の準備もままならず
どうなっちゃうの?と案じてはみたが
どうなる訳もなく、ひたすら寝て回復を待つ。
救いは異常に食欲があったこと。
熱で味覚がおかしな具合になっているのにお腹がすいてすいて‥
まっ、いいか、お正月は寝る、と決めたが
来客の予定がある事を思い出し、鼻をかみかみ
窓ガラスを拭き、お正月用の器も揃え
お供え、お雑煮、諸々準備し気合いで新年を迎えた。
こうやって書いてみると新年を迎える準備って
結構いろいろある、だからもう少し早くとりかかれば
良いのだ、いや、毎日の生活をあらため
その日の汚れはその日のうちに落とす。
今年こそそれを実行しよう!
必要でないものを処分し整理整頓をすることは
自分の人生にも置き換えられると誰かが言っていた。

去年のお正月は初詣で転び膝を擦りむいてしまい
家族でお祝いをした時、大好きなお皿を割ってしまった。
その後、間をあけずに2枚割る。
番町皿屋敷〜(お菊さんごめんなさい)と
悲惨な幕開けだっただけに
(ただ、亡くなった母は「割れたお皿で厄ばらいできるのよ」と言っていたことを思い出し、気分的には
そちらをチョイスしたのだが‥)
今年は何事も慎重に、を心がけゆっくり大地を踏みしめ
無事初詣にも行ってきた。
散々な幕開けだった去年のおみくじは「大吉」
今年は「吉」だった。近所の氏神様は「熊野神社」
去年「熊野音楽祭」に招かれて参拝させていただいた
あの熊野本宮大社からの御霊をお祀りしてあるそうだ。
ご縁を感じて御利益に期待!してはいけない。
でも少ししてる。

そんな一年のスタートをきった私の去年は
精神的なアップダウンがひどく、何もできない自分を
情けなく思いながらも何も手をつけられない状態が続いた。
思考がストップしてしまっている。流れていない状態‥。
かと思うと他愛もないことに敏感に反応し涙したりと
「ね〜、私、どこに行っちゃうの〜?」という感じだった。
しかしこれは私だけが特別な訳でなく同じ年頃の友人も
似たような現象が起きている。
年齢からくるものも相当影響しているし、
もっと深刻な方もたくさんいらっしゃると聞く。
黙って話を聞き励ましてくれる友人や
アドバイスを下さる人にもうんと助けてもらった。
そうやってガス抜きをしてもらいながら
私の治療法は歌であることに気付く。
そこに今の私を注ぎ込んで歌えることが救いになった。
嬉しいこと、悲しいこと両方抱えて歩いて行く、
そしてかけがえのないものを大切にしていける
自分でいられるように、去年経験したことを糧とし
今年はほんの少しテンポを上げて
歌いながら上を向いて歩いて行こうと思う。

2006年1月8日

四角 佳子


ドスコイ酒場ちゃんこ芝松

冬の気配が感じられるようになった週末。
久しぶりに家族揃って食事をすることになった。
いくつかの祝い事があったが
先延ばしにしていたのでひとまとめにして
娘夫婦、息子、友人も巻き込んで
美味しいものでも食べようということになった。
さて、何を食べるか‥若者とは食の嗜好が
月とすっぽんくらいかけ離れているので聞く事にした。
息子は「普通のもの食べて〜」って何?
娘は「何でもいいよ〜」‥。

以前、ある方から
「僕は日本一美味しいちゃんこ屋だと思います」と
教えてもらった店がある。
(かつて友人に、大阪の十三で美味しいちゃんこを
ご馳走になったことがあり、その味が忘れられず
東京での美味しいちゃんことの出会いを楽しみにしていた)
その方は、作家「池田弥三郎氏」の甥にあたる方で
私は弥三郎さんがお話になる江戸弁が大好きだった。
歌舞伎や相撲、食にも精通していらしたのは周知の事実だ。
そんな江戸っ子が太鼓判を押しているのだから
間違いないだろうと足を運んだのである。で、間違いなかった!
店の前には植木鉢が置かれていてどこの町にでもありそうな
店構えだが並んで待つのは当たり前と言うほど
人気のあるお店だ。冬の寒空、足を踏み踏み
おしくらまんじゅうをしながら待つのもおつなものだった。

記念日のお祝いだからちょっと奮発して
仏料理、伊料理、はたまたお寿司、天麩羅など
いろいろ考えたが懐具合も頼りなく‥。
そうだ、ちゃんこだ〜と。
丁度、朝青龍が7連覇達成という素晴らしい成績を残し
た九州場所の前でもありここに決めた。

「ドスコイ酒場ちゃんこ芝松」

どうだ〜!と言わんばかりの堂々たる名前である。
お店のお兄さん達(若くて元気)のユニフォームは
お相撲さんが普段着ているゆかたである。
腰のところでだぶらせる着方をして相撲部屋の
雰囲気ばっちり。3階まであるお店の階段を
だだだだだ〜と猛スピードで上がったり降りたり
それを見ているだけでも気持ちが良い!
こちらも「どすこ〜い!」という気分になり
相撲部屋にいる様な錯覚にさえ陥る。

初めて来た子供達も目を輝かせ自然と笑みが浮かぶ。
私たちは2階の座敷に座ったが壁には力士の写真や
赤い手形入りサインが貼ってあり、待っている間も楽しい。
これで今回のチョイスは成功したも同然。
お刺身、たこの唐揚げ、力士味噌をつけて食べるきゅうり、
フライドポテトマーガリンのっけとカニクリームコロッケ
(ちゃんこ屋さんにこのメニュー不思議でしょ)
焼き鳥、この時点でお腹一杯なのだが
何故かちゃんこは入ってしまう。
味噌、醤油、塩、キムチ、からお薦めの味噌と塩を選ぶ
時間をかけてとった出汁に車エビやつみれ
豚肉、鶏肉、野菜にきのこ。
栄養のバランスもとれ、家ではなかなか出せない味だ。
具だくさんの鍋をはふはふ言いながら皆でつつくのは
なんとも楽しい。日本人であることを幸せに思う瞬間だ。
締めは、たっぷりうまみの出た出汁に入れる中華麺と饂飩。
総勢5人、あっという間にたいらげた。
食べることが大好きなお婿さんと我が友。
最近食欲がないと言っていた娘も美味しいと頬張り
普通のものが食べたいと言っていた息子も
「うまい!」と一言。お世辞の言えない彼の顔を見ればわかる。

どれも美味しくボリュウムがあり安いときていて
若い人はもちろん家族連れや我々の世代も多く
幅広い層の人たちのわいわいがやがやがイイカンジの
BGMとなり、より一層雰囲気を盛り上げてくれる。
たわいも無い話をしながら楽しい宴は終わり
九州場所の番付表をおみやげにもらい
別れを惜しみながら家路についた。

それにしても今場所の琴欧州と朝青龍との対決は見物だった!
お互い遠い国から力士を目指し頑張ってきた二人の対決は
相撲のおもしろさを増幅させてくれた。
大関昇進おめでとう!
琴欧州には横綱目指して頑張ってもらいたい。
ファンの一人として心からエールを送ろう。
でもなあ、ハンサムだけど、相撲界のベッカムって‥(^^;


なるトモ

何日か前の朝、何気なくテレビをつけたら
どこかで見た、まあるい顔がアップになった。
よく見ると「なるみさん」だ。と言うと知り合いのように
誤解されるといけないのだが、単なる彼女のファンなので
呼び捨てにはできない。
なるみさん、もしくはなるみちゃん。
読売TVの「なるトモ」という朝のワイドショーが
東京の日本テレビでON AIRされる運びとなったのだ。
なるみさんは女性二人「トゥナイト」という名前で漫才の
コンビを組んでいたが相方が引退、今は一人でいくつも
番組を持っておられ関西では人気者。ダミ声?いやいや、
ハスキーな声と、人なつっこい笑顔の中に少量の毒と優しさを合わせ持つ独特のキャラクターで
陣内智則さんとからみながら司会をするワイドショーだ。
内容がどうとか言うより
大阪の匂いが感じられることがたまらない。
テレビに向かってつい「なんでやねん!」が
出てしまうのである(^^;
司会の二人と芸人さんの丁々発止のやりとりが
スリリングでおもしろい!
最近とみに「大阪」の血が騒ぎはじめているようだが
これも年のせいか。
関西方面に行くとホテルに着いてまず新聞のTV欄をくまなく探しお笑い番組をチェックすることから始まる。
タイミング良くそれが見られたら最高に嬉しいのである。

小学生の頃、土曜日は学校が半ドンで
家までお腹をすかせながら走って帰った。
教科書が少なくランドセルに隙間があるせいか
走ると筆箱がカタカタ鳴る。その音が気になり
なるべく左右に揺れないよう両手で肩のベルトをしっかり
押さえながら通い慣れた通学路を急ぐ。
商売をしていた我が家は商店街の入り口にあり
そこにたどりつくまでに
ご近所のおじちゃんやおばちゃん達と
「ただいま〜」
「おかえり!今日は早いやないの」
「だって土曜日やもん」
「そんなこと言わんともっと勉強しといで〜」
「いやや、死ぬほどしてきた」
などといつものご挨拶をしながら通り抜けて行く。
家に帰ると両親はお店に居たり仕入れに行って居なかったり。
私は、昼食のきつねうどんを一気に食べて
(当時、お店は忙しく人も多く居たのでお昼は
大抵うどんだった。お昆布と煮干しでとった
出汁は母の味、もう一度味わってみたいものだ)
二階に上がりテレビの前に座り
チャンネルをまわす‥間に合う。
「プンワカパッパ〜プンワカパッパ〜‥」
このメロディーを聞いただけでにこっとしてしまう。
吉本新喜劇の劇場中継である。
ストーリーは大阪のどこにでもありそうな町の人々の
人情を中心にひと騒動交えながらコントがからみ
ハッピーエンドというパターン。
数年前、大阪なんば花月に観に行ったが
役者さんが変わっているだけで何も変わっていなかった。
私にとってはそれが何より嬉しい。
一番前の端っこの席だったが芸人さんと
客との間に流れる空気感がなんとも言えず楽しい。
ライブであることの緊張感は音楽も芝居も
同じような感覚なのだと思う。

そんな関西のお笑いで育った私にとって
東京にいてしかもテレビで観られるこの喜び。
何がそんなにおもしろいのか‥。
「つっこみ」の間と切り返しの面白さだ。
大阪ならではの切り口でそこに魅せられる。
「そこでつっこむ〜?」「がはははは〜」
となる訳でその笑いに癒されている今日この頃だ。
衰えつつある脳細胞を刺激し笑うことで腹筋も鍛えられ
家の中が明るくなり気持ちの良い一日のスタートがきれる。
一石二丁なんてものじゃなく五丁はある。
願わくば、内容を東京風に変えないでもらいたい。
「こてこての関西」を貫いてもらいたいと思うのは
私だけだろうか。


秋晴れだ〜

朝、起きてカーテンを開けたら
雲ひとつない青空。
久しぶりに気持ちの良い秋晴れだ〜。
あわてて洗濯機をまわし朝食の支度にとりかかる。

朝食はトーストとミルクティーとバナナ1本。
ブルーベリー(冷凍食品割引の日にまとめて買っておくので
スーパーのチラシを読むのは必須)とヨーグルト。
スライスしたバナナをこんがり焼いたトーストに
マーガリンを塗りその上に乗せて食べる。
(その上にスライスチーズを乗せるのもイケルらしい)
母が元気なころ毎朝食していたことを思い出し、
「あ、あれ食べてみよ」と食べ始めたのである。
これがかなか美味しい!!
その上バナナはすぐにエネルギーになると聞いたので
朝食にはもってこいだ。
ブルーベリーは目に良いと思って食べているが
K氏曰く、食べた時にしか効果がないらしいよンと‥(^^;
まあ、しかし継続は力なりダッ!と続けている。
お試しあれ!

洗濯機が「ぴーぴー」と終わったことを教えてくれるので
わすれんぼの私には嬉しい技術革命だ。
晴れた日に干す洗濯物は心なしかウレシソウで
私もうきうきしながらベランダに並べる。
O型の私ではあるが洗濯物を干すことに関しては
ちとウルサイ。と言うか自分なりの決まり事があるのだ。
シャツやTシャツはトバンガー(友人が考えた洗濯用の
ハンガーで風が吹いても飛ばないからトバンガーだそうだ)
にかけ肩幅からハンガーが出ないようにチェックし
そのサイズに合ったハンガーにかける。
もちろん干す前にはパンパンと景気よくたたいて
シワを伸ばす(人の顔もパンパンするだけで伸びて
くれるといいんだけど‥)
バスタオルは特に風通しが良くなるように場合によっては
二本の竿にまたがって干すと乾きが早い。
(長くなりそうなので洗濯ものを
干すことについてはいずれまた)
太陽の恩恵で殺菌消毒ナントありがたいことか。

昨日の午後、稲城市の方まで所用で出かけた。
帰りに道ばたで売っていた稲城名物の新高梨
(ニイタカナシと読むそうで、昨日まで私は
シンコウナシだと思い込んでいた)
とふかしたサツマイモを
箱根駅伝の予選を見ながら頬張った。
もうそんな季節なんだ‥。
1月2日は応援しなくちゃ。
明日は栗でも茹でるかな。


OK’s SQUARE The first

8月の暑い日に「OK’s SQUARE」という
四角佳子の応援サイトが開設された。
立ち上げたいという話は風の便りで耳にしていたが
そんな事を言ってくれる人がいるなんて
なんと希有な。有り難い!
心の中でUさん「ありがとう!」と思いながらも、
そこでの話と実現するということは別だと思っていたので
隣にいる人に「ねえ、ほっぺたつねってみてくれる?」
「うん、いいよ。」
「あっ、痛いよ〜、つよくつねりすぎ〜!
でもホントなんだ‥」
「ははは、赤くなってるわ」
つねられて赤くなったところをこすっていたら
もっと赤くなって、でもほっぺたの痛みは
どこかに飛んでいった。

そのことがきっかけで
私のソロのライブをということになった。
他の人ならいざ知らず本番まで約一ヶ月という
短かい準備期間しかなかったので、
「それ、じょうだん‥ですよね」という感じであった。
これもまた「ごめん、前回よりもっと強くつねってくれる」
「いいよ〜、こんなもん?」
「ぎゃー、そこまでやる〜?」
もしかしたらつねってもらっていることが夢かもしれない。
そんな気持ちが行ったり来たりしながら
実感というものがないまま時間が過ぎていった。

「六文銭」でも「まるで六文銭のように」
そして「猫・文銭」でも歌うスタンスは変わらない筈。
ソロでもコーラスでも同じ気持ちで歌うことを
教えられてきた。
しかし、長いブランクはその壁を乗り越えることが
如何に困難であるかを思い知らされていたので
一瞬不安がよぎる。

そんな時に恒平ちゃんから「あんずるよりナントカだよ」と
メールが届いた。
思えばこの「まる六」を初めてからの5年間。
「おけいちゃん、やろう」で始まった元「六文銭」の3人が
ここまで続けてやってこれたことは
(他の二人はともかくとして)
私にとっては夢のまた夢(なんのゆ〜め♪)なのだ。
小室さんも恒平ちゃんもそれぞれ自分の世界で勝負し
厳しい音楽の世界を生き抜いてこられている訳で
その中に身を投じた私は無知と言うか
こわいものしらず、と言うか。

例えば小室さんは、私が煮詰まっているタイミングで
非常に解りやすい言葉でアドバイスをくれる。
目からうろこが落ちる音が聞こえるくらい
解りやすく心にしみてくる。
そして恒平ちゃんは、数年前大切な一人でのライブの時に
「一緒にやろう」と声をかけてくれた。
その後何度も歌う機会を作ってくれ「まる六」はもちろん
「猫・文銭」にも繋がっていく。
「おけいちゃん、やろう」と言われ「はい、やります」と
ひとつ返事の私は「身の程知らずもエエかげんにせい!」
と言われても寝たふりするだけで(誰かのまね)
どこか遠いところで聞こえてくる声を
聞かないふりしてきた。
しかし、そうやって走ってきたことで得たものは
歌うだけではなく生きていく上でも大きかった。
私がどのような状況でも
まるごと受け入れてくれ黙って見守ってくれたこと。
30年前の六文銭の時となんら変わるものではなかった。
そして「おけいちゃん、やるよ」の一言が
よぎったものやかすめたものがほっぺたの痛みと一緒に
どこかに飛んでいくのも変わらないのである
今になって(この年になってが正しい‥)
よちよち歩き出した私を
支えてもらっていることに心から感謝したい。

「2005 OK’s SQUARE The first」
と銘打ったはじめてのソロライブが終わって
もう一週間以上も時間がたってしまった。
あの日「カルラホール」に足を運んで下さった方
お手伝い下さった方の包み込むような優しさに心が震えた。
ギターと音響のサポートをしてくれた
及川恒平、常富喜雄、鈴木ばく(敬称略)
の三人には感謝あるのみ。

一日も早くありがとうを言いたかったのに
何故か言葉が出てこなかった。
娘がお嫁に行ったときのそれとはちがうけど
どこか似たような‥時がたち
カラッポになっていた心にようやく
静かに潮が満ちてきそうだ。

<追記>
ご承知かと思いますが当日のプログラムは
Designed by Kohei Oikawaです。
(と〜〜〜っても気にいっています!)
私に校正力がなかったばかりに数カ所間違いがあったこと
ここで深くお詫びしたいと思います。
O型のおおざっぱな私には細やかな仕事は無理ということが
判明しました。全国のO型の皆さん、ごめんなさい♪


学校ごっこ

9月に入り、駅までの遊歩道、桜並木の蝉たちが
夏を惜しむようにミーンミン、カナカナ‥と泣いている。
一体何種類の蝉がいるのだろう。
真夏の太陽の陽射しを遮り
この木々たちにどれほど助けられたか。
ときおり風にそよぐ葉っぱを見上げながら
駅まで歩いていく。

日本青年館に着いて小室さんや恒平ちゃんを待つ。
めずらしく私が一番だった。
少し髪を短くした小室さんと上田さん恒平ちゃんの順で
全員集合。事務局の方にごあいさつし
リハーサルに向かう。

会議室に入ると机と椅子が同じ間隔で置かれていて
まるで高校生に戻ったような気分。
会議室の無機質な感じが
放課後誰もいない教室にどこか似た感じがした。

「学校ごっこ」第8期「小室等クラス」
まずは出席をとり中山千夏さん作詞、小室等さん作曲の
「ごっこ」という校歌を歌い受業開始だ。

第1回目
1部はアメリカンフォークソングの紹介から
六文銭にいたるまでの流れを
小室さん所有のCDを聞きながら、詞の意味や
「この曲のこの部分を歌いたくて必死でコピーを
し練習したものです」
などと当時フォークに夢中になっていた頃の
エピソードも交え語ってくれた。

1.ウイーヴィーズ<グッドナイト・アイリーン>
ピート・シーガーとリー・ヘイズに
フレッド・ヘラーマン
ロニー・ギルバートが加わり49年に結成(まだ
生まれてない)
初期のフォークグループとしては大変な影響力を
持ち100万枚も売り上げたそうだ(授業の資料より)
2.キングストン・トリオ<トム・ドウーリー>
3.モダン・フォークカルテッド<鍵の音>
4.ルーフ・トップシンガーズ
<ウオーク・ライト・イン>
5.グリーン・ブライアー・ボールズ
<シチュー・ボールズ>
6.ハイウエイ・メン<漕げよマイケル>
7.ブラザース・フォー<グリーン・フィールズ>

などなど。詳細は省かせていただくが
幼いころよく耳にした楽曲で一緒に口ずさんでいたが
カタカナエイゴで意味もわからず覚えているものもあり、笑ってしまった。

休憩を挟んで「まる六」が紹介される。
約30人くらいの生徒さんは
20代〜?代までと幅広く
それぞれメモをとったり小室さんの弾くギターの
指を見ながら机の上でアルペジオの練習をしたりと
それぞれ自由で熱心で和やかな雰囲気だ。
小室さんと恒平ちゃんの出逢いや私が参加した時のこと
日本語で歌うことへのこだわり。
別役実氏との出逢い‥
恒平氏のHPにも掲載されているが、ある方からの
問いかけがきっかけで「街と飛行船」の歌詞のある部分が
変化していることについてなんとか解明したかった。
当時「スパイものがたり」に参加していない私にとっては
わからない事の方が多く
まずは恒平氏に尋ねることにしたが
結果、まる六で現在歌われている歌詞が
オリジナルであることが
小室さんより語られ
大きな宿題をひとつかたづけることができ
ほっとした。

マイクはラジオの収録用のものをのぞいて1本。
「六文銭」当時の歌を中心に最後は
「ただあたたかくぱらっぽに」
進化していくまる六でありたい。
今回もほぼ生音のライブだった。
次回は「ボブ・ディラン自伝」がテーマだそうだ。
音楽を体系的に学習していない私としては
生徒として参加し2時間の講義を聞いてみたいと思った。


ぼくの夏休み

夏の終わりに
ひさしぶりの及川恒平氏ソロライブに行ってきた。
「ぼくの夏休み」というタイトルは何故か幼いころの
そう、小学生のころの夏休みをイメージしてしまう。
テレビのニュースなどで見かける
海外で過ごす家族の夏休みではなく
従兄弟と駆けまわった山、川、蝉の声、麦わら帽子
開けはなった窓、日よけの葦簀、
ときおり吹きぬける心地よい風
座敷の座卓いっぱいに広げた宿題‥
隣にいる父の姿、大きな丸いスイカ
決しておとなの夏休みじゃないのは何故だろう。

7時15分開演と聞いていたが少し早く始まる。
マイクがたった一本中央に立っていた。
ギターマイクなし。
恒平氏のお話の中にも出てきたが
六文銭当時はマイク一本で二人や三人ほっぺをくっつけるように歌うことは特別なことではなかった。
だからギターの音も歌声も
モニターがなくても聞こえてくる。
しかし性能はくらべものにならない。
マイクから30センチ
いや50センチ離れても歌は届き
クラッシックギター、フォークギターとそれぞれの
音色が全体をつつみこむように響きわたる。
庭にいる虫の声も聞こえてきて
合唱しているようだった。

3部に別れた構成はひとつひとつの光を放ち
まわりをほんのりと照らしてくれる。
照明がわりの古い電気スタンドも
「私の光はなくてもいいわ‥」と点いては消える。
いつも隣にいて聞き慣れた歌声なのに
まるで別人のよう‥
新鮮で優しく、秘めた強さを感じながら目を閉じる。
曲ごとに誰のものでもない自分だけの思いが
駆けめぐり、心が解き放たれていくのがわかる。
ここに足を運んでくれた人それぞれが
どのようなイメージを描いているのか
尋ねてみたい衝動にかられるがその人だけの世界に
誰も踏み込むことはできない。

「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」という映画が好きで(ヴィム・ベンダース監督、ライ・クーダープロデュースのドキュメントムヴィー)
このところ何度か見ている。
そこに72才(98年当時)の
イブラヒム・フェレールという
キューバの天才的なシンガーが登場する。
いくつか好きなシーンがあるなかの
ひとつを紹介したい。

彼がインタビューの中で自分の生い立ちを話しながら
歌い出すシーンがある。
幼い頃に母親を亡くし父親も亡くなり
厳しい状況で生きてきたことを
話しながら歌いはじめる。
話すことと歌うことに境目がなく
流れるように歌いまた話に戻るのだが、
恒平氏の歌を聴いていてそのことを思い出した。
語るように歌ってくれた歌はまさに「言葉」だった。
今回のライブはその「ことば」が
更に深く広がったように思う。
そしてその先にはその場に居合わせた
聞き手だけが持てる想像の世界が待っていたのだ。


100分の1

今年のこの暑さは何?
暑いのをとおりこして「なつい」!?
さすがの私も外に出るのが億劫になる。
8月も入った猛暑の日、山にいけなくて残念
なんて思いながら仕事ではしかたなく‥
それでも時間がとれたのでひさしぶりに
本当にひさしぶりに実家のお墓参りに
いくことにした。

当日は朝からカンカン照りの「なつい」日で
羽田まで荷物引きずって行くのは
たどりついたらバタンてな事になりかねないと
弱音を吐いていたら,なななんと
息子が送っていってもいいよと‥。
あんなに小さくて可愛くて(オヤバカ)
優しかった息子は時間が経つにつれオトナになり
かわす言葉もふたことみこと‥
こっちは話したいことやまほどあるから
隙をみては彼の好きな食べ物を目の前にぶらさげ
「あのさ〜今日ね‥」なんて話してはみるけど
「ふ〜ん」とか「いいんじゃないの」で
あっけなく終わる。
そんな息子が送ってくれるというので
小さくガッツポーズ!

なんだかドライブ気分。
羽田まで約40分、普段話せないことや
聞きたかったことをたたみかけるように
一気にまくし立てた、ら、
思いがけない反応が返ってきた。

「まる六」や「猫・文銭」のこと
音楽について思うこと
出逢った人たちのこと
そして今の私が感じていることを伝えたら
彼は自分の考えていることについて
話しだした,ぼそぼそと。
ドキドキしながら聞いていた。
22才の息子はやりたいことがあるらしく
そこに向かって歩き出しているようだ。
小さい頃から学校での出来事をあまり話す
タイプではなくそれは今も同じ。
ときおり話し出すとそれは悔しい思いを
した時だったりした。
ある種同じような状態なのだろうか。
100分の1くらいの吐露かもしれないが
少し心の内を知ることができたような気がし
エールを送った。

別れる時も私が見えなくなるまで見届けてくれた。
車から出てすっくと立ち
照れくさそうに手を振ってくれた姿を
忘れることはないだろう。

短い時間だったけど大切な時を
息子と分け合った気がし嬉しかった。
これもお墓参りに行くと決めた私への
ご褒美だったのかもと
心の中で思いっきりガッツポーズ。


高田渡さんへ

今年は例年になくお天気に恵まれ桜を満喫した。
たしか去年は雨と風であっという間に散ってしまったように想う。

そんな花の季節に渡さんは逝ってしまった。
気持ちのいい春の日の午後
ぽっかり浮かんだ白い雲の上を
自転車に乗って
気持ち良さそうにペダルをこいでいる。
タバコをくわえゆっくりと‥

ありがとう、渡さん。

いつの日か一緒に歌えることを夢に見ながら
ほんの少しのあいだお別れです。


終章

那覇マラソンから一ヶ月が過ぎた。
新たな気持ちでこれをまとめとしたい。

12月5日午前7時ホテルのロビー集合。
忘れ物がないかをチェックし降りて行くと
「団長」の杉田二郎氏が眠そうな目をしながら
その場に居てくれた。
前夜も遅かっただろうに。
一緒に行動してくれる心意気がなんとも嬉しかった。

全員で歩いて奥武山陸上競技場に向かう。
お天気は曇り。
気温も22度、湿度もさほどでなく
台風の名残は風だけだった。
「いい感じだね」とK氏。

大勢の人が県の内外から集まって来る。
「気」と言うのだろうか前を歩く人の
身体から発散している何かが見える気がする。
自然と声高になり歩くスピードも早くなって
次第に気持ちが高揚してくるのがわかる。

二万数千分の一の私は
そこにいることが嬉しくて
ドキドキわくわくしながら
午前9時のスタートを切った。
「おけいちゃん、先に行くからね」と
K 氏は風の如く駆け抜けて行った。
「いつもとちがう‥かっこいい‥」
見とれながら後ろ姿を見送った。
教えてもらったことを反芻しながら走る。
風が気持ちいい。
なんとしても5km は完走するよと心の中で
師であるK 氏にメッセージを送る。
後からスタートした人がどんどん追い抜いて行くが
駒沢公園を走った時の感覚を思い出し自分のペース
で走ることを再確認。スタートした時の
一体感とは反対に自分だけの世界感を感じる。
あっという間に5kmを目前にし
「あれ?これならまだ走れる」と思ったら
団長が仲間と共に「おけい、頑張れ!」と
声援を送ってくれているのに気付き
「がんばるよ〜」と手を振り返した。嬉しい!

その後永井龍雲氏が「沖縄に人の声援は熱いです」と
話してくれたことを肌で感じることになる。
目標を達成した私は気持ちが楽になり
走りながら沿道の人達の様子を
心から楽しむことができた。
エーサーで歓迎してくれ、太鼓を鳴らし声をかけ
子供達は手を出し一人づつタッチする。
家族で塩やレモンのハチミツ漬けやお水を用意し
手渡してくれる。
疲れてきた時に口に含んだ黒砂糖の甘さが
なんとも言えない。
力が蘇ってくるようだった。
どの顔も笑顔笑顔!私も思わず笑顔。
なんて温かいのだろう。
途中お腹が痛くなったがそんなことも
忘れさせてくれる位優しい応援だった。
初めてのマラソンは目標を越え
13kmという結果で終わったが
目標を達成できた人出来なかった人
それぞれが最高のドラマを
自分の中に残せたことだろう。

風が強く気温も下がり寒い中
私たちの帰りを待っていてくれた
団長とスタッフの皆さん、ありがとう!
準備してくれたバーベキューや
おにぎり美味しかったよ。
痛みをこらえて戻ってきた皆の笑顔
最後まで応援してくれた団長の涙
そして私たちを引っ張ってくれたK氏。
どのシーンも心に深く焼き付き
私の那覇マラソンは静かな感動と共に幕をおろした。

さて、新しい年を無事迎える事ができました。
今年も自分と向き合いながら
何かを始めてみたいと思っています。
これからも私の他愛ない独り言に
おつきあいいただければ幸いです。。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。