カラッポ日記一覧

旅はみちづれ3

明けて12月4日の気温なんと29度。
湿度にいたっては120%もあるかと
思う程のコンディション。
K 氏はギターをとても気にしていた。
季節はずれの台風が運んできた低気圧の仕業だ。

ビルの上のライブハウスで屋外で演奏予定が
室内にと変更になる。
そこには大きなガジュマルの木があり
どうしてここにあるのだろうと思いながらも
見守られているような気持ちになるのが不思議だ。

「団長」杉田二郎氏をはじめ11組の
アーティストの那覇マラソン前夜祭の始まり!
元「シモンズ」の田中由美さんも
駆けつけてくれ大輪の花を咲かせてくれた。
徐々に雨も風も強くなり、
控え室として使っていたテントがバタバタと音をたて
ドキッする。
しかし沖縄の人にとっては大した事はないらしく
涼しい顔をしている。
湿度が高くK氏は幾度となくギターの様子をうかがい
チューニングに余念がない。
練習をしている私達の間を
うなり声をあげた風が
何か意志でもあるかのように駆け抜けて行く。
大切なギターを抱え風雨から守ろうとするその姿は
まるで幼子を抱いた父親のようだった。

リハーサルを終え本番までの時間
やはりマラソンの話になり
K氏は色々と皆にアドバイスをしてくれた。
もう一つの本番を明日に控えた
ミュージシャンでありアスリート達の
秘めたる闘志を垣間見る事ができ
それぞれがどのようなフィニッシュを迎えるのか
楽しみだった。

スタッフの方達が食事の用意をしてくれ
沖縄ならではの料理がたくさんテーブルに並んだ。
本番前あまり食べられない私は
「終わってからのお楽しみ!」にした。
隣から声がする。
「お佳ちゃん、明日のマラソンの為にしっかり
食べた方がいいよ!」見るとテーブルの上の
料理を猛然と食べている!
いや、その食べっぷりと言ったら
沖縄風天麩羅、ソーキそば、ジューシーお握り
(炊き込みご飯の事をジューシーと言う)
サーターアンダンギー(丸いドーナッツ)
ゴーヤチャンプルー
ポーポー(油味噌を包んだクレープのようなもの)
紫色のお餅(花ずみ」さんからの差し入れ)【注1】
多分全種類食べていたと思う。
でもそれには理由があり
マラソン直前はしっかり食べて
一時期絞った体重を戻し体力を温存するとか。
キビシイナー!

「あ〜食べすぎて空気も入らないよ、歌えるかなあ」
との心配もなんのその。
豊かな声量と美しい声、心に染み入る表現力で
老若男女ノックダウン!(ホント嫉妬しちゃう)

ライブも楽しく終え明日の為
早めに打ち上げを終わらせようと
会場で皆さんと一杯!
(ライブの内容はななこさんのHAL’S ROOMに
詳しく出ているので割愛させていただくとして)

団長と、永井龍雲氏が壇上にあがり
一人ずつゼッケンと背中に全員の名前の入った
お揃いのブルーのウィンドブレーカーが手渡される。
たった5km目標の私の名前もあり
申し訳ない気もしたがやはり嬉しかった!

第20回NAHAマラソンと赤い字で書いた
私のゼッケン番号は7531番。
なんていい番号だろう。なごみ〜だもんね!
気持ちも段々高揚してくるが
「なごみ」ながら走ろうと思った。
明日の為に今夜は早く休もう!
どうやら天気も回復しそうだ。
ほらね、私は雨女じゃないでしょ。

注1:忘れかけていたケータリングのメニューを
お世話になったPMエージェンシーの
芝千晶さんに、料理の名前だけでなく
材料やその意味まで
とても丁寧に教えていただきました。
芝さん、にふぇーでーびた!
(沖縄の言葉でありがとうの意味)


旅はみちづれ2

那覇までの空の旅を楽しむ為に
まずすること。
腰に負担をかけないように
(小室さんの教え)
毛布を2枚もらい
1枚を腰に当てもう1枚は膝に。

丁度お昼時だったので
軽食でも出るかとの期待はハズレ。
このごろは経費削減でナシ。
機内食もなかなか良いものなのになあ‥
飛行機会社も大変なんだ。

天候(台風27号)のせいで飛行機は
着陸前の10分程かなり揺れた。
隣の席を見ると先ほどまでマラソンの話で
盛り上がっていたK氏は
ややうつむき加減になり黙りつつある。

こりゃいかん!
何か話しをしなくてはと思ったら
飛行機が大きく揺れ
後方の座席にいた修学旅行生の数人が
「ひゃあ〜」と声を上げた。
若い人は反応が早いと言うか
「赤信号、皆で渡れば‥」精神と言うか
あっと言う間に広がって
あっちでもこっちでも黄色や青の「ひゃあ〜」
まるでジェットコースターに乗っている状態。
奇声をあげるは、両手をあげるは。
「ここは遊園地かあ〜!!」

お陰でK氏も気が紛れ「なんだい、あれ」
とか言ってる内に
那覇空港に無事着陸。
お迎えに来て下さったM氏は半袖。
東京は結構寒かったので
なんだか、沖縄に来たという実感が湧いてきた。
K氏「札幌と那覇の温度差は20度だ、すげー!」と

途中、因幡晃氏をピックアップして
ラジオ局に向かう。
車中はマラソンの話に花が咲く。
コースの説明を受けながら市内を眺める。
屋根の上のシーサーが「めんそーれ!」と
声をかけてくれたような気がした。
生まれて初めての沖縄との出会いは
徐々に強くなる雨と風の中だった。

飛行機を降りたK氏はみるみる元気を取り戻し
ラジオの生番組で炸裂した!


旅はみちづれ。

あの劇的な那覇マラソンから早10日が経った。
飛行機があまり好きでない恒平氏と私の
珍道中の始まりは羽田空港からだった。

思えば「二人だけで飛行機」に乗るのは初めてで
事前に送られてきたチケットを手に
まずはチェックインをしなければと思い
カウンターにむかったところ、恒平氏は
「いいんだよ、このまま入れば。ふふふ〜ん」と
鼻歌まじりの雰囲気を漂わせ
「そうだっけと思いつつ」
そのまま後をついてボディーチェックに向かったら
「空席待ちの方ですか?」と聞かれ
「いいえ」と言ったら
「チェックインを済ませてからこちらへ」
と言われた。でしょうでしょう‥!

広い羽田のロビーを、二人してガラガラ
(キャスターのついた旅行鞄のこと)を
引きずり右往左往しながらカウンターへ向かい
機内に持ち込むギターの席も確保した。

チケットの右側が空白になっていて座席の番号も
打ち込まれてないから変だなと思ったのに
あ〜何故いえなかったか。

それはK氏があまりにも
正々堂々としていたからである。
「あれ、もしかしたら私が間違ってる‥?」と
不覚にもついて行ってしまったのだ。
一人で飛行機に乗ったことは
一度や二度ではないのに。

とは言え「まる六」で私が発言すると5割
いや6割かな、(7割かもしれない)
とんちんかんな方向に行ってしまう
というデーターもあり
信じてもらえないとは思うので
偉そうには言えないが。

間違えた本人はというと
いたってケロリとしていて
「だあから、おけいちゃん言ったでしょう
(ニコニコ)」
くらいのことは言いかねないのである。

素晴らしい詩と音楽の世界を持っている人の
現実とのギャップがいたっておもしろく
やめられまへんなあ!

無事羽田を飛び立った飛行機は
凸凹の二人を乗せて
季節はずれの台風27号の待つ那覇へと向かう。


マラソン

長い間ご無沙汰をしてしまいました!
この4ヶ月、体調も悪くなく
特に何かあった訳でもなく元気に過ごしていました。
「スランプ」という言葉は私にはあてはまらず
ごめんなさい。

という事でまた一から仕切り直し。

さて本題へ。一昨年某コンサートで
永井龍雲さんとご一緒する機会があり
出演者の方達とマラソンの話で盛り上がっていた。
ご承知かと思うが永井さんもかなり気合いを入れて走ってらっしゃるのだそうだ。
あまりに楽しそうに話しているので私も加わりたくて
「登山してる〜」などととんちんかんなことを
口からポロリ。
とは言え事実であり、八ヶ岳、燕岳から西岳を抜け
槍ヶ岳までの縦走、そして去年はなんとあの「剣岳」に挑戦し見事踏破したのだ、この私が!!

長兄が大学生の頃、大きな横長のそれだけでも重いリュックをしょって手にはピッケルを持ち
熊よけの鈴をつけて「佳子、入ってくるよ」と
嬉しそうに山へ出かけて行く姿を見ながら、内心
「あんな重いものを持って空気の薄い山に登って
何がおもしろいんだろう‥」と
横目で見ながら行ってらっしゃいをしていた私が
まさかその重い荷物をしょって空気の薄いつら〜い
登山をするとは。
ご先祖様だってびっくり仰天したと思う。

話を元に戻すと「登山してる〜」と口がすべったが
ために「そんなすごい山に登れるなら
マラソンもできる!」と(何を根拠に?)
12月の那覇マラソンに一緒に出ましょう
と誘われそれが現実のものとなったという話。

今夏、大分で再会した永井さんに
「おけいさん那覇マラソンエントリーしましょうね」
と再度声をかけてくれ嬉しいやら困ったやら。
なにせ中学校の校内マラソン大会以来の事だから。

この年にもなり走ると言えば
駅の階段を「その電車待って〜」と
ぜえぜえ言いながら駆け上がり
タッチの差で電車の後ろ姿を見送るという
情けない場面しか思い浮かばない。
そんな私がマラソンなんてとてもじゃないけど
考えられない。
ところが「深く考えないでやってしまおう精神」が
またもや頭をもたげてしまい
「やってみようかな、マラソン」で始まった。

マラソンのなんたるかを知っている人から見たら
いや知らなくても「アホかいな」だろう。
実際、兄姉や友人に話しても半ば口をあんぐり。
ほぼ反応がなく「気は確か?」という感じ。
でももうエントリーしてしまったから
後には戻れない!

今年はアテネオリンピックでスポーツを
思いっきり楽しませてもらった。
その勢いで(何のイキオイ?)
食欲の秋とスポーツの秋を合体して
走ることにチャレンジしよう。
42.195kmは逆立ちしたって無理だけど
行けるところまで行こう!
もちろん「走る鉄人」恒平ちゃんも一緒だから
心強い、駒沢公園も一緒に走ってくれた。
この歳で新しい事にチャレンジできることが
何より嬉しい。
永井さんありがとう。


コンサートのこと

先日「まるで六文銭のように」のコンサートがあり
和歌山へ。
その日はあいのくの天候で近付きつつある台風に
向かって飛行機で一路南紀白浜へ。
空港から車で約1時間海岸沿いを南へ下り
串本よりさらに10分ほどの古座川という所へ。

そこは幼い頃毎夏兄や従姉妹たちと山や川で遊んだ
父の故郷とよく似ていてそれだけで充分私の心は
満たされた。
熱い思いを秘めた地元の男女7名の方が中心となって
古座川という愛する町の為に始めたという手作りの
コンサートに招いていただいた。
それは記念すべき10回目でもあった。

その日の宿までの道すがらも仕事で来ている事を
忘れてしまうくらいあちこち案内して下さり
台風にも拘わらず海が荒れていないことを
とても残念がっていらした。
どうやら荒れ狂う海を見せたかったらしい。

子供の頃、大きな台風が来て実家の屋根が
吹き飛ばされそうになった。
二階の居間に家財道具を集めその真ん中で
「ヒューゴオー」という音に耳をふさぐ。
何時頃だったのか覚えてないが停電で
薄暗く私一人恐ろしくて震えていた事を思い出す。
それでもゲンキンなものでおさまりそうになると
合羽をはおり長靴をはいて両親が止めるのも聞かず
外へ飛び出し空を仰ぎ見風を受け一気に去って行く
台風を不謹慎ながら楽しんでいた事を記憶している。

台風で荒れた海を見せたいと思って下さったのは
そんな気持ちとどこか共通するものがあるのかもと
一人車の後ろの座席でニヤリとしていた。

深い緑と野の花や鳥の声、四国の四万十川にも
匹敵するという綺麗な川の気に癒され
人々の温かい気持ちに触れ何かいつもと違う
心の動きを感じた。

リハーサルで二人のギターの音や自分の声がどれ位
聞こえるかを小室さんのリードでチェックする。
手作りのステージは広すぎず、なるべくくっついて
歌いたい私達にとっては好都合でもある。
耳で聞こえてくる音を確認し明日の本番へ。

翌日は素晴らしいお天気で気持ちの良い朝を迎えた。
木造の円形のホールはとても良い香りがした。

オープニングは小室さんが一曲、恒平ちゃんが二曲目
そして私の番だ。
いつもなら口から心臓が飛び出しそうになるのに
そうはなっていない。
いつもの様にギターの音や歌声は聞こえている筈なのに何かが違う。
身体の奥の方で何もかもが響いているのだ。
もしかしたらそれまでは聞こえていると思い込んでいただけなのかもしれない。
歌うことで何かが湧き出てきた。
楽しかった。楽しい事が嬉しかった。

今夜は浮かれて飲み過ぎないようにしよう
身体もあまり動かさず静かに休もうと思った。
あの時感じた何かが逃げてしまいそうな気がしたから。
翌日京都でのコンサートまで静かにそのまま…
お願い居てね!

私の願いを聞き入れてくれたかどうかはわからないが
その日も楽しく歌うことができた。
隣にいる小室さんの歌が
恒平ちゃんの歌が
ずんずん心に響いて震えてしまった。
以来私はより二人の大ファンになってしまった!!

いつも側にいてくれる二人には当然の事として
今回のコンサートに関わって下さった
京都、古座川のすべての方々と美しい自然に
心から感謝をしたい。
誰かが私に何かを気付かせてくれたとしたら
やはり頭を垂れるしかないと思う。


今年はいつもの年より桜の開花が早いという。
去年の夏は冷夏でこの冬は暖冬。

近所の桜の木は去年の秋
贅肉をそぎ落とすかのように葉を落とし
静かに呼吸をしながら春を待っていた。
生まれたばかりの赤ん坊のように
蕾みの中の花びらは濃いピンク色で
固く身を閉ざしている。

土の中では虫がごそごそ動き出し
鳥たちが耳もとで囁きはじめる。
陽の光りは天から降りそそぎ
時を知らせてくれる。
注意深くあたりを見渡しながら
ゆっくり腕を伸ばし大きく伸びをする。
薄紅色に変えた花びらが風の中で揺れ動く。
生命あるもの全てがこの瞬間を
待っていたかの様に動き出す春を
私は毎年待ち焦がれる。

生まれたばかりの子供を
早く外に連れて行きたくて。
冬生まれの子供は家で過ごす時間が長くなり
春が待ちどおしかった。
暖かくなって久し振りに歩く町の様子は
変わらないのに
日常の何気ない風景や出来事が違って見えた。
土の匂いや風の音,苦手だった虫たちさえも
愛おしく,歓びと輝きに満ちていた。
それは私が初めて出会う別な私だった。
子供達は大人になったけれど
春は今年もあの時の思いを呼び起こし
幸せな気持にさせてくれる。

そんな春の風が吹き抜ける午後
お見舞いに出かけた。
その日は彼女の誕生日で
申し合わせたかのように仲間が集まり
入院先での誕生祝いとなった。
彼女は桜の枝と提灯のついたヘアバンドを
頭に付け私達を迎えてくれた。
担当の先生も看護士さんもニコニコ顔。

バースデーケーキに蝋燭を立て
「Happy Birthday To You♪」を歌い
若い彼女の顔は桜色に上気し美しかった。
そのあと二人で「私はスパイ」を歌う
好んで歌ってくれているそうだ。
いつも陽気なご主人もくちずさんでくれる。
あの街とこの街に日が暮れて・・・♪
「ヒゲのはえたスパイが女の子だなんておもしろい」
スパイは女の子だと思っているようだ。
「あれ?女の子だっけ」と私。
彼女が病人であることを忘れてしまう程
楽しい時間を過ごした。
お見舞いしたのかされたのか?

春真っ盛りの頃,彼女はネコと夫の待つ
家に帰るだろう。


季節はずれのシクラメン

長い冬がそろそろ終わりを告げようとしているのに
我が家のシクラメンは今頃花が咲き出した。
毎年11月から12月にかけて咲くのに
去年は気配すらなく来年かなと思っていたら
東側の出窓に置いてある三鉢すべてが
今こそ我が時とばかりに咲かんとしている。

知り合いの花屋の若旦那に聞いてみたら
「あんまり手をかけないでやると
そういう事があるんですよ!」
なあるほど,そういうことか。

東側だから適度にお陽様は当たってくれるし
近頃テレビでもコマーシャルをしている
「ナントカ101」という松や杉やおおばこ
等から抽出したエキスをお水に2.3滴
加えたものを土が乾いたら
与えてやるだけだから・・・
確かに手はかけてやってない。

それにしても季節はずれとは言え
花が咲いてくれるのは嬉しい。
さっきの若旦那曰く
「根がしっかりしているから
咲き終わったら一回り大きな鉢に
うつしてやるといいですよ。」との事
そうしようと思う。

冬眠から目覚めたシクラメンのように
やっと私ももぞもぞ動きはじめる。
年末から何やかやとイベント続きの
生活を繰り返してきたので
子供達が成長した今も
同じ様なリズムで動いてしまう。
そのせいか1月はぐったりだ。
でもそろそろチャンネルを切り替えて
スタートしなければ
春においてけぼりにされる。

つい数日前「六文銭BOX」が届いた。
白い封筒にゆっくりハサミを入れ
セロファンをはがし
黒い箱から取り出した3枚のCD・・・
「キングサーモンのいる島」から流れてくる
マンドリンの音色のように心が震えた。
あの頃のレコードに針を落とす瞬間とは
違った熱い思いが胸を走る。
原さんの顔が橋本くんの顔が浮かぶ。

小室氏との出会いから始まった私の六文銭は
たった1年だった。
28年という時間を超えて
新たに走り出した私の人生のこの瞬間に
再び3枚のアルバムを手にできるとは
想像もしなかった。

うららかな早春に
心とからだに生き行くものの息吹きを
感じながら聞き入っている。
このアルバムを聞いてくれた方々と
もう一度共有できる歓びをかみしめながら。


無題からはじまった。

不思議な気持
三年前こんなに音楽を楽しんでいる
今の自分を想像する事はできなかった。

あの時「一度だけやってみよう」の
つもりだったのは歌う自信がなかったから
それでも回を重ねていくうちに
昔の事が蘇り「あ,これって?」という感じが
身体の中を駆け巡るのがわかる様になっていく。
それにしたって着いて行くのがやっとな私を
二人は優しく見守り自分で答えをみつけなさいと
さりげない一言を繰り返しながら導いてくれている。

リハーサルでは,二人の次元の高い音楽表現が
うまく交わり,個々に歌っていた曲も
新しくドレスアップをして出来上がる。
それぞれの思いを大切にしてくれる事で
六文銭独特のハーモニーが誕生する。
その時の楽しさは格別で
グループで歌う喜びと
尊敬する二人の作家と 音楽を供にする幸せを
噛み締める瞬間でもある。

音楽から離れた所に居た私は
丸や三角や点点で空白を埋めながら
日々を重ねてきた。
娘も嫁ぎ息子も自立する年頃になり
私の役割も終わりに近付いている。
親としての思いは変わらないが
とうに私の羽根の下から飛び立っていて
向き合う事もなくなりつつある。

そんな時に再び音楽と巡り合えた事
たくさんの方が創ってくれたこの機会は
生きる喜びに繋がり
これからの私の人生にもうひと色
鮮やかな色をつけてくれそうだ。
自分が描くイメージに
中々近付けないでいる私の力量を
恨めしく思うばかりではあるが
それと闘うこともまた「楽し!」
等と考えていたら
私のもう一度の人生は
「無題からはじまった」のかなあって。


イエアオウ〜

いやあまずいなあ
夢眠さんの激書きに「おもしろ!」とか
「フォークソングの事くわしい!」とか
感心してる場合じゃないでしょ
昨日のリハーサルの時に恒平ちゃんに
「書けないよ〜」なんて弱音を吐いてしまった。
まずい!
思うに自分で自分の首をぎゅっとしめて
いたのでは・・・
デジカメ撮らなきゃとか
何かテーマを考えて・・・とか
もうやめた。
最初から何も決め事なんか
なかったのだから
逆立ちしたって文学的な文章なんて
書ける筈ないし(誰も期待してないって)

とにもかくにも
12/9のムジカーザに向けて
練習をするゾ。

家で「イ〜エ〜ア〜オ〜ウ〜」
なんて発声練習をしていると
息子がボサボサ頭で起きてきて
(多分寝ていられないのだと思う)
「ねえ,なんでアイウエオじやないの?」
と質問された。
「アイウエオ〜よりイエアオウ〜の方が
発声練習にはいいのよ」
なんてさっぱり意味のない答えをしつつ
朝ご飯の支度をするというのが
我が家の近頃の一日の始まりであるが
どうして「イエアオウ〜」なんだろう
誰か知っていたら教えてほしい。


このごろ

名古屋,塩尻も無事(かなあ?)終わり
体調もやっと元に戻りと言っても
風邪を引いた訳でもないのだけれど
季節の変わり目のせいか(歳のせいにはしたくないゴメン!)
身体が重くて眠くてなんか変な日が続いた。
気持だけがトコトコ駆け出してしまい
バラバラになった身体はどうもついて行けない。

数日前ある人から良いもの聞かせてあげると言われ
(良いものとか美味しいものとか面白いとかにすっごく弱い)
ジョニ・ミッチェルを聞いた
[Borth sides now] 何年ぶりかなあ
やっぱり名曲だなあなんて思いながら当時に思いを馳せていた。
そしてすぐそのあと33年振りにレコーディングした
[Borth sides now]を聞いた。(もちろん彼女はその間ライブ活動等をしていたが)
その時の幸せな衝撃をどう言葉で伝えたら良いか
アレンジも変えていた 歌い方も違う 声も低くなっている
でも紛れもなく33年の時間を経た今の彼女だった。

出逢いや別れ たくさん恋をしたのかな?
挫折や孤独との闘いで涙した日々もあったのかも
色んな想像を掻き立てられる歌声だった
穏やかで力強く人生そのものを愛おしく包み込むような歌声だった
アーティストとしての彼女を語る力は私にはないが
「女」とか「ひと」とかそんな所で私の気持を強く
引き込んでくれた。
ボーっとした頭に一筋の光りが差し込んだような気がして嬉しかった。

ところでやっと写真を載せることに成功!
あ〜恒平ちゃんの言うとおり
甘くなかった。

これは我が家の壁の一部で
気にいった写真やポストカードを
貼ってあるのだ〜