2005年09月一覧

OK’s SQUARE The first

8月の暑い日に「OK’s SQUARE」という
四角佳子の応援サイトが開設された。
立ち上げたいという話は風の便りで耳にしていたが
そんな事を言ってくれる人がいるなんて
なんと希有な。有り難い!
心の中でUさん「ありがとう!」と思いながらも、
そこでの話と実現するということは別だと思っていたので
隣にいる人に「ねえ、ほっぺたつねってみてくれる?」
「うん、いいよ。」
「あっ、痛いよ〜、つよくつねりすぎ〜!
でもホントなんだ‥」
「ははは、赤くなってるわ」
つねられて赤くなったところをこすっていたら
もっと赤くなって、でもほっぺたの痛みは
どこかに飛んでいった。

そのことがきっかけで
私のソロのライブをということになった。
他の人ならいざ知らず本番まで約一ヶ月という
短かい準備期間しかなかったので、
「それ、じょうだん‥ですよね」という感じであった。
これもまた「ごめん、前回よりもっと強くつねってくれる」
「いいよ〜、こんなもん?」
「ぎゃー、そこまでやる〜?」
もしかしたらつねってもらっていることが夢かもしれない。
そんな気持ちが行ったり来たりしながら
実感というものがないまま時間が過ぎていった。

「六文銭」でも「まるで六文銭のように」
そして「猫・文銭」でも歌うスタンスは変わらない筈。
ソロでもコーラスでも同じ気持ちで歌うことを
教えられてきた。
しかし、長いブランクはその壁を乗り越えることが
如何に困難であるかを思い知らされていたので
一瞬不安がよぎる。

そんな時に恒平ちゃんから「あんずるよりナントカだよ」と
メールが届いた。
思えばこの「まる六」を初めてからの5年間。
「おけいちゃん、やろう」で始まった元「六文銭」の3人が
ここまで続けてやってこれたことは
(他の二人はともかくとして)
私にとっては夢のまた夢(なんのゆ〜め♪)なのだ。
小室さんも恒平ちゃんもそれぞれ自分の世界で勝負し
厳しい音楽の世界を生き抜いてこられている訳で
その中に身を投じた私は無知と言うか
こわいものしらず、と言うか。

例えば小室さんは、私が煮詰まっているタイミングで
非常に解りやすい言葉でアドバイスをくれる。
目からうろこが落ちる音が聞こえるくらい
解りやすく心にしみてくる。
そして恒平ちゃんは、数年前大切な一人でのライブの時に
「一緒にやろう」と声をかけてくれた。
その後何度も歌う機会を作ってくれ「まる六」はもちろん
「猫・文銭」にも繋がっていく。
「おけいちゃん、やろう」と言われ「はい、やります」と
ひとつ返事の私は「身の程知らずもエエかげんにせい!」
と言われても寝たふりするだけで(誰かのまね)
どこか遠いところで聞こえてくる声を
聞かないふりしてきた。
しかし、そうやって走ってきたことで得たものは
歌うだけではなく生きていく上でも大きかった。
私がどのような状況でも
まるごと受け入れてくれ黙って見守ってくれたこと。
30年前の六文銭の時となんら変わるものではなかった。
そして「おけいちゃん、やるよ」の一言が
よぎったものやかすめたものがほっぺたの痛みと一緒に
どこかに飛んでいくのも変わらないのである
今になって(この年になってが正しい‥)
よちよち歩き出した私を
支えてもらっていることに心から感謝したい。

「2005 OK’s SQUARE The first」
と銘打ったはじめてのソロライブが終わって
もう一週間以上も時間がたってしまった。
あの日「カルラホール」に足を運んで下さった方
お手伝い下さった方の包み込むような優しさに心が震えた。
ギターと音響のサポートをしてくれた
及川恒平、常富喜雄、鈴木ばく(敬称略)
の三人には感謝あるのみ。

一日も早くありがとうを言いたかったのに
何故か言葉が出てこなかった。
娘がお嫁に行ったときのそれとはちがうけど
どこか似たような‥時がたち
カラッポになっていた心にようやく
静かに潮が満ちてきそうだ。

<追記>
ご承知かと思いますが当日のプログラムは
Designed by Kohei Oikawaです。
(と〜〜〜っても気にいっています!)
私に校正力がなかったばかりに数カ所間違いがあったこと
ここで深くお詫びしたいと思います。
O型のおおざっぱな私には細やかな仕事は無理ということが
判明しました。全国のO型の皆さん、ごめんなさい♪


学校ごっこ

9月に入り、駅までの遊歩道、桜並木の蝉たちが
夏を惜しむようにミーンミン、カナカナ‥と泣いている。
一体何種類の蝉がいるのだろう。
真夏の太陽の陽射しを遮り
この木々たちにどれほど助けられたか。
ときおり風にそよぐ葉っぱを見上げながら
駅まで歩いていく。

日本青年館に着いて小室さんや恒平ちゃんを待つ。
めずらしく私が一番だった。
少し髪を短くした小室さんと上田さん恒平ちゃんの順で
全員集合。事務局の方にごあいさつし
リハーサルに向かう。

会議室に入ると机と椅子が同じ間隔で置かれていて
まるで高校生に戻ったような気分。
会議室の無機質な感じが
放課後誰もいない教室にどこか似た感じがした。

「学校ごっこ」第8期「小室等クラス」
まずは出席をとり中山千夏さん作詞、小室等さん作曲の
「ごっこ」という校歌を歌い受業開始だ。

第1回目
1部はアメリカンフォークソングの紹介から
六文銭にいたるまでの流れを
小室さん所有のCDを聞きながら、詞の意味や
「この曲のこの部分を歌いたくて必死でコピーを
し練習したものです」
などと当時フォークに夢中になっていた頃の
エピソードも交え語ってくれた。

1.ウイーヴィーズ<グッドナイト・アイリーン>
ピート・シーガーとリー・ヘイズに
フレッド・ヘラーマン
ロニー・ギルバートが加わり49年に結成(まだ
生まれてない)
初期のフォークグループとしては大変な影響力を
持ち100万枚も売り上げたそうだ(授業の資料より)
2.キングストン・トリオ<トム・ドウーリー>
3.モダン・フォークカルテッド<鍵の音>
4.ルーフ・トップシンガーズ
<ウオーク・ライト・イン>
5.グリーン・ブライアー・ボールズ
<シチュー・ボールズ>
6.ハイウエイ・メン<漕げよマイケル>
7.ブラザース・フォー<グリーン・フィールズ>

などなど。詳細は省かせていただくが
幼いころよく耳にした楽曲で一緒に口ずさんでいたが
カタカナエイゴで意味もわからず覚えているものもあり、笑ってしまった。

休憩を挟んで「まる六」が紹介される。
約30人くらいの生徒さんは
20代〜?代までと幅広く
それぞれメモをとったり小室さんの弾くギターの
指を見ながら机の上でアルペジオの練習をしたりと
それぞれ自由で熱心で和やかな雰囲気だ。
小室さんと恒平ちゃんの出逢いや私が参加した時のこと
日本語で歌うことへのこだわり。
別役実氏との出逢い‥
恒平氏のHPにも掲載されているが、ある方からの
問いかけがきっかけで「街と飛行船」の歌詞のある部分が
変化していることについてなんとか解明したかった。
当時「スパイものがたり」に参加していない私にとっては
わからない事の方が多く
まずは恒平氏に尋ねることにしたが
結果、まる六で現在歌われている歌詞が
オリジナルであることが
小室さんより語られ
大きな宿題をひとつかたづけることができ
ほっとした。

マイクはラジオの収録用のものをのぞいて1本。
「六文銭」当時の歌を中心に最後は
「ただあたたかくぱらっぽに」
進化していくまる六でありたい。
今回もほぼ生音のライブだった。
次回は「ボブ・ディラン自伝」がテーマだそうだ。
音楽を体系的に学習していない私としては
生徒として参加し2時間の講義を聞いてみたいと思った。