夏の終わりに
ひさしぶりの及川恒平氏ソロライブに行ってきた。
「ぼくの夏休み」というタイトルは何故か幼いころの
そう、小学生のころの夏休みをイメージしてしまう。
テレビのニュースなどで見かける
海外で過ごす家族の夏休みではなく
従兄弟と駆けまわった山、川、蝉の声、麦わら帽子
開けはなった窓、日よけの葦簀、
ときおり吹きぬける心地よい風
座敷の座卓いっぱいに広げた宿題‥
隣にいる父の姿、大きな丸いスイカ
決しておとなの夏休みじゃないのは何故だろう。
7時15分開演と聞いていたが少し早く始まる。
マイクがたった一本中央に立っていた。
ギターマイクなし。
恒平氏のお話の中にも出てきたが
六文銭当時はマイク一本で二人や三人ほっぺをくっつけるように歌うことは特別なことではなかった。
だからギターの音も歌声も
モニターがなくても聞こえてくる。
しかし性能はくらべものにならない。
マイクから30センチ
いや50センチ離れても歌は届き
クラッシックギター、フォークギターとそれぞれの
音色が全体をつつみこむように響きわたる。
庭にいる虫の声も聞こえてきて
合唱しているようだった。
3部に別れた構成はひとつひとつの光を放ち
まわりをほんのりと照らしてくれる。
照明がわりの古い電気スタンドも
「私の光はなくてもいいわ‥」と点いては消える。
いつも隣にいて聞き慣れた歌声なのに
まるで別人のよう‥
新鮮で優しく、秘めた強さを感じながら目を閉じる。
曲ごとに誰のものでもない自分だけの思いが
駆けめぐり、心が解き放たれていくのがわかる。
ここに足を運んでくれた人それぞれが
どのようなイメージを描いているのか
尋ねてみたい衝動にかられるがその人だけの世界に
誰も踏み込むことはできない。
「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」という映画が好きで(ヴィム・ベンダース監督、ライ・クーダープロデュースのドキュメントムヴィー)
このところ何度か見ている。
そこに72才(98年当時)の
イブラヒム・フェレールという
キューバの天才的なシンガーが登場する。
いくつか好きなシーンがあるなかの
ひとつを紹介したい。
彼がインタビューの中で自分の生い立ちを話しながら
歌い出すシーンがある。
幼い頃に母親を亡くし父親も亡くなり
厳しい状況で生きてきたことを
話しながら歌いはじめる。
話すことと歌うことに境目がなく
流れるように歌いまた話に戻るのだが、
恒平氏の歌を聴いていてそのことを思い出した。
語るように歌ってくれた歌はまさに「言葉」だった。
今回のライブはその「ことば」が
更に深く広がったように思う。
そしてその先にはその場に居合わせた
聞き手だけが持てる想像の世界が待っていたのだ。