OK’s SQUARE The first

8月の暑い日に「OK’s SQUARE」という
四角佳子の応援サイトが開設された。
立ち上げたいという話は風の便りで耳にしていたが
そんな事を言ってくれる人がいるなんて
なんと希有な。有り難い!
心の中でUさん「ありがとう!」と思いながらも、
そこでの話と実現するということは別だと思っていたので
隣にいる人に「ねえ、ほっぺたつねってみてくれる?」
「うん、いいよ。」
「あっ、痛いよ〜、つよくつねりすぎ〜!
でもホントなんだ‥」
「ははは、赤くなってるわ」
つねられて赤くなったところをこすっていたら
もっと赤くなって、でもほっぺたの痛みは
どこかに飛んでいった。

そのことがきっかけで
私のソロのライブをということになった。
他の人ならいざ知らず本番まで約一ヶ月という
短かい準備期間しかなかったので、
「それ、じょうだん‥ですよね」という感じであった。
これもまた「ごめん、前回よりもっと強くつねってくれる」
「いいよ〜、こんなもん?」
「ぎゃー、そこまでやる〜?」
もしかしたらつねってもらっていることが夢かもしれない。
そんな気持ちが行ったり来たりしながら
実感というものがないまま時間が過ぎていった。

「六文銭」でも「まるで六文銭のように」
そして「猫・文銭」でも歌うスタンスは変わらない筈。
ソロでもコーラスでも同じ気持ちで歌うことを
教えられてきた。
しかし、長いブランクはその壁を乗り越えることが
如何に困難であるかを思い知らされていたので
一瞬不安がよぎる。

そんな時に恒平ちゃんから「あんずるよりナントカだよ」と
メールが届いた。
思えばこの「まる六」を初めてからの5年間。
「おけいちゃん、やろう」で始まった元「六文銭」の3人が
ここまで続けてやってこれたことは
(他の二人はともかくとして)
私にとっては夢のまた夢(なんのゆ〜め♪)なのだ。
小室さんも恒平ちゃんもそれぞれ自分の世界で勝負し
厳しい音楽の世界を生き抜いてこられている訳で
その中に身を投じた私は無知と言うか
こわいものしらず、と言うか。

例えば小室さんは、私が煮詰まっているタイミングで
非常に解りやすい言葉でアドバイスをくれる。
目からうろこが落ちる音が聞こえるくらい
解りやすく心にしみてくる。
そして恒平ちゃんは、数年前大切な一人でのライブの時に
「一緒にやろう」と声をかけてくれた。
その後何度も歌う機会を作ってくれ「まる六」はもちろん
「猫・文銭」にも繋がっていく。
「おけいちゃん、やろう」と言われ「はい、やります」と
ひとつ返事の私は「身の程知らずもエエかげんにせい!」
と言われても寝たふりするだけで(誰かのまね)
どこか遠いところで聞こえてくる声を
聞かないふりしてきた。
しかし、そうやって走ってきたことで得たものは
歌うだけではなく生きていく上でも大きかった。
私がどのような状況でも
まるごと受け入れてくれ黙って見守ってくれたこと。
30年前の六文銭の時となんら変わるものではなかった。
そして「おけいちゃん、やるよ」の一言が
よぎったものやかすめたものがほっぺたの痛みと一緒に
どこかに飛んでいくのも変わらないのである
今になって(この年になってが正しい‥)
よちよち歩き出した私を
支えてもらっていることに心から感謝したい。

「2005 OK’s SQUARE The first」
と銘打ったはじめてのソロライブが終わって
もう一週間以上も時間がたってしまった。
あの日「カルラホール」に足を運んで下さった方
お手伝い下さった方の包み込むような優しさに心が震えた。
ギターと音響のサポートをしてくれた
及川恒平、常富喜雄、鈴木ばく(敬称略)
の三人には感謝あるのみ。

一日も早くありがとうを言いたかったのに
何故か言葉が出てこなかった。
娘がお嫁に行ったときのそれとはちがうけど
どこか似たような‥時がたち
カラッポになっていた心にようやく
静かに潮が満ちてきそうだ。

<追記>
ご承知かと思いますが当日のプログラムは
Designed by Kohei Oikawaです。
(と〜〜〜っても気にいっています!)
私に校正力がなかったばかりに数カ所間違いがあったこと
ここで深くお詫びしたいと思います。
O型のおおざっぱな私には細やかな仕事は無理ということが
判明しました。全国のO型の皆さん、ごめんなさい♪