haru

3月は友人、親戚の誕生日が、七つ。
1才から96才という幅広い層だ。
何もかもこれから始まろうとしている
1才を迎える笑顔の可愛い坊やから
明治生まれ、日本の近代の歴史の動乱を
体験し、その中で家族を守りたくましく
生き抜いてこられた、私にとっては父のような存在の96才まで。たくさんの人生がそこにある。
春は生命が芽生える季節、誕生日を迎えることは
元気で今日という日を迎えられる歓びである。
祝う側にとっても嬉しいことだ
近くの遊歩道の桜のつぼみもふくらみ始めている。
どこからともなく沈丁花の香りが漂い春の訪れを感じる。

私の両親は父が22年前、母が6年前にそれぞれ
お彼岸に他界し、今年は23回忌7回忌と
仲良しだった二人揃っての法要を、無事終えた。
父が亡くなった日は大雨‥
突然の知らせに事情が飲み込めないでいる私は何をどうしたか
気がついたらまだ歩けない息子と5年生の娘を連れて
新大阪駅からのタクシーの中だった。
フロントグラスをたたきつける雨を車中から見ていた。
あれから22年、早いものだ。歩けなかった息子も
独り立ちし,歩き始める歳になった。
久し振りに姉兄4人集まり、迎えの車の中は笑顔に満ち
せまく感じる。そんな中末っ子の私はいつしか
子供の頃に戻っていた。
あの日と同じように大雨の車中、昔話に花が咲き
楽しいドライブでもあった。
父の故郷にある古いちいさなお寺に二人は眠っている。
少しお年を召されたが、ご住職はいつもと変わらぬ良い声で
お経を唱えてくださる。
静寂の中でおごそかに始まった法要は両親との再会に
ふさわしい場であった。
暖かい空気が私を包み優しく頬をなでてくれた。
あれも話そうこれも伝えなくてはと思っていたが
言葉にはならず、目を閉じて優しい空気に身を委ねた。
いつの間にか雨はやみ、私たちは、昔、遊び歩いた懐かしい
路地を自分の人生をなぞるように歩き確かめ
それぞれの家路についた。

頂いた花もそろそろ散りはじめ。
ひらひらと舞いおちる花びらの
なんとはかなく美しいことか。