謹賀新年

2014年、三が日は穏やかな幕開けとなったが
いつも通りの暮れとお正月で
大掃除とお節の支度で大わらわ。

お雑煮は各家庭、地域により全く違っていて文化風習の違いが面白い。

我が家は関西風で白味噌のお雑煮。
大根、京人参、里芋とお餅
関東の人にとっては「お味噌汁〜」と言われるのである。
そう言われても白味噌のまったりしたものでないと
新年を迎えた気分にならないが
関東風の清まし仕立てと二種類作っていたこともあったっけ。

毎年結果が楽しみというか不安と言うか
黒豆を30日の夜に支度をして一晩寝かせ
大晦日に8時間コトコト炊きあげるのだけれど
亡き母がその出来で一喜一憂していたことを思い出す。
大きな鍋で吹きこぼれないように火の加減をしょっちゅう
のぞき込んでいた。
しわしわになってしまうこともあり
その出来がその年を占うかのようだった。

今年の黒豆はふっくら柔らかく炊きあげることが出来て
うん、やった〜とまるで母と同じような気持ちになるのが
我ながらにんまりだ。

時間に追われながらではあるが
毎年28日か30日にはお供えと
それぞれの部屋に厄除けの意味で輪かざりと
玄関のお飾りをしつらえて準備完了。

今年はいいかと思っても
習慣になっているのか
しないと気持ちが悪くなることがわかり、トホホ!
仕方ないね。
とは言っても物忘れもひどくなる一方で
楊箸はあるものの箸袋がないことに気付き
たまたま買ってあった赤の水引と家にあった和紙で
作ることにした。
なんと簡単で家族の評判も良し!!
来年もこれで行こうかな。

書が趣味の父が箸袋に家族それぞれの名前を書くのが習慣で
今は下手くそな字で私が書く。

東京のお正月は車が少なくて
ウヒョヒョである。
ゆっくりのんびり飲んで食べてまた飲んでの三が日も過ぎ
早、明日からはいつもの日々である。

今年も佳い一年でありますようにと
祈るばかりである。

皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

おけい

☆写真はなかなか良い出来の黒豆と雑煮椀とお手製の箸袋と
友人から送られて来た元日のダイヤモンド富士。
早速待ち受けにした(^^)


大滝詠一さん

2013年12月31日
台所でお節の準備をしながら見ていたTVのニュースで
大滝詠一さんの突然の訃報を聞いた。
その知らせを聞いてたくさんの人が驚きの声を上げただろう。
先日のかしぶち哲郎さんの訃報にもただただ驚き
言葉も出なかったのに
大滝さんまでがと思うと時間が止まってしまい何をする気もおこらない。

今、音源をyoutubeで聴いている。

歌声はもとよりお喋りの声もとてもいい。

かまやつさんや高田渡さんとの対談は
音楽史や背景までを語り見識の深さはまるで学者のようだ。

六文銭時代、はっぴいえんどの皆さんとは同じ
キングレコードの「ベルウッド」というレーベルで
何度かご一緒した時の強烈な印象が今も深く残っている。
どこに行くのだったか、電車の中で言葉を交わした大瀧さんは
大変優しくてユーモアに溢れた素敵な方だった。

先日小室さんの古稀のパーティで
ベルウッドの創始者でプロデューサーの三浦さんと久しぶりにお会いし
当時のことを話したばかり。
元はちみつぱいのドラムのかしぶち哲郎さんは
六文銭の「キングサーモンのいる島」では7曲も参加して下さっていて
そのレコーディング風景とドラムの音は
今でも昨日のことのように記憶に残っている。

お二方と共通の繋がりのある三浦さんとお会いしたことを
思うとなんとも不思議な気持ちがする。

日本のポップスの礎になられた方であり
プロ、アマを問わず音楽を愛する多くの人にどれほどの影響を与えたか。
これからの日本の音楽と共に居続けて牽引して欲しかった。
いずれ別れの日は来ると頭の中でわかっていても
あまりに早すぎた。

ずっと憧れてそして尊敬の気持ちで聴いていた
大滝さんの音楽は
間違いなく永遠に私の心に刻まれ残っていく。

合掌


長島さんと松井さん

今年のGWも今日でお終い。
その前日に我らのヒーロー長島さんと松井さんの
国民栄誉賞の授賞式と
松井さんの引退セレモニーと始球式

運命の出会いをしたお二人が
お揃いのスーツを着てドームのグラウンドに登場した時は
感無量。

なんかとても暖かくて
思わず涙がほろり。

私の子供の頃は正に「巨人、大鵬、卵焼き」の時代
野球はエンターテインメントの代表格で
家族団らんの中心でもあった。
長島茂雄さんは、今では例えようのない位、超スーパーヒーロー
77才の今もその姿は変わらず
圧倒的なパワーは更に輝きを増し太陽そのものだった〜。
とても喜寿とは思えない!!!

大阪生まれとしては大きな声では言えないけれど
姉が大学の後輩ということもありより身近に感じられたせいか
当時私は長島さんの大ファン。
当然阪神ファンの父とはTVの前で競い合ったことをよく憶えている。

ご病気をされて声を聞く機会のないまま
長い年月が過ぎていったけれど
昨日の長島さんの一挙手一投足には痺れた〜。

人を惹きつける言葉って
つっかえたっていいし
難しい単語がなくてもいい
生身の人間を感じさせるものなんだ。

バッターボックスに立ち左手だけで構えた姿を見て
打つ気であることはすぐに伝わったし
「打って!」と願った人も多かったと思う。

松井秀喜さんファンは私の廻りには多くて
人柄の良さも話題になる。
昨日のメッセージはそれを深く物語っていて
謙虚で優しい一言一言に心奪われたよね。

師弟関係であったお二人にとって巨人軍での時間は宝物。
今ではなかなか見ることが出来ない
羨ましいほど濃密な人間関係だと思う。
野球ファンもそうでない人も
TVの前に釘付けになったことだろう。
国民栄誉賞のことはすっかり忘れていたけれど
素敵な時間だったことは間違いない。

メジャーリーグで「グッドガイ賞」を受賞した
松井秀喜さん。
ヤンキースでは
引退セレモニーを考えているらしい。
是非是非実現してもらいたいな。


原宿クリームソーダ 山崎真行

1970年代後半。
まだラフォーレが教会だった頃。
私は久しぶりに会った常やんに原宿の「キングコング」という飲み屋さんに連れて行ってもらった。
そこには大きなドーベルマンがいてびっくりしたことを憶えている。
その犬の飼い主でお店のご主人の山ちゃんを紹介された。
小柄でほっそりとした優しげな
でも皮ジャンにリーゼントというスタイル、だったかな、いや夏だったから
アロハっぽいシャツだったかもしれない。
それがやまちゃんとの出会い
すぐに仲良くなった。

やまちゃんは多才な人で「Cream Soda」という洋服屋さんを原宿に出した途端
売れて売れてあっと言う間に原宿の「伝説の人」となってしまった。
お店には常にロックンロールが流れ
アメリカングラフィティに出て繰るようなTシャツや小物
店員さんは全員黒の皮ジャンにリーゼント
お尻のポケットには櫛が入っていてテカテカのリーゼントをいつもなでていた。
女の子はポニーテールに赤い口紅
日本中どこを探してもないやまちゃんのお店だった。
それ以来原宿に行くとお店に立ち寄り
やまちゃんと珈琲を飲みながらいろんな話しをした。
アイディアの宝庫で目をきらきらさせながら何時間も話してくれたっけ。
当時ならではの武勇伝も沢山聞いた。
でも目の前にいるやまちゃんはいつも穏やかで優しい人だった。
そのギャップが魅力的だった。

タバコと珈琲が大好きで私の話もよく聞いてくれて。
世の中がクリームソーダに注目し、ビッグビジネスの話しが持ちあがっても一切振り向かずある意味アマチュアリズムを貫き通した人だ。
その後、「ガレッジパラダイス」「シンガポールナイト」
お母さんのお名前で「菊」という和食屋さんも作った。
当時走りだったタイ料理レストラン「KABARA」
シェフはもちろんタイから呼び寄せ
インテリアからカトラリーまですべてデザイナーにオーダーというこだわりで
クリエイティビティ溢れるものだった。

そのKABARAが入っていた渋谷の自社ビルは1階が「Pink dragon」
今や日本中の若者で知らない物はいない「キャットストリート」は彼が命名した。
裏原の人の流れも予見していた。
ビルの屋上にはプールがあって娘とよく遊びに行ったものだ。
娘をとても可愛がってくれて
当時お店の店員さんだけで作ったバンド「Black Cats」と一緒に
娘も赤いジャケットにリーゼントスタイルでアルバムの写真を撮った思い出もある。
もう何年もお会いしていなかったが
ついこの間も共通の友人と「やまちゃん、どうしてるかな」と
話したばかり。
やまちゃんはそんな人だった。

そのやまちゃんが亡くなったと連絡が来た。
大好きな犬を散歩に出た時に倒れたとか。
桜満開の美しい季節に愛犬とそのまま逝くなんて
やまちゃんらしい。

やまちゃん
ありがとう。
寂しいけど、お別れに行くね。

「原宿ゴールドラッシュ」森永博志 著 ソニーマガジンズ


東横線

子供が幼稚園の時に渋谷からこちらに越して来て早27年。
乗り慣れた東横線が大きく変わろうとしている。
明治通りの工事から一体何年が経過しただろう。
まだまだ先のこと、と思っていたら
明後日16日「東横線・副都心線」と名前も新たに変身するのだ。
川越〜横浜まで乗り換えナシ!(もっと先まであるかな)
便利になるんだ。
通勤通学の人の時短になり流れも変化するのだろうな。
知人宅にも乗り換えナシで行けちゃうから便利だ。
長生きはするものだ。
が、しかしイイネ!だけにはならないところが困った。
あの青空が見える「渋谷駅」とのお別れはなかなか切ないものがある。

渋谷経由の時には必ずと言って良いほど
「東横のれん街」に立ち寄り大好きな甘いものやお総菜を買って帰る。
その「のれん街」にかつて「神田西洋軒」というお菓子屋さんがあった。
ある雨の日その前をバスに乗るために小走りでかけたその途端つるっと滑ってしまい
宙を舞った身体は左肘から落ちて骨折。
ボルトを入れそしてそれを取るため二度の手術を受けたことがある。
忘れられない思い出も今となっては笑い話だけれど。
その「のれん街」も場所が変わるそうだ・・。

待ち合わせは改札を出たところ。
様々な人の顔が浮かぶ。
あの人もこの人も笑顔で手を振っている。
六文銭 ’09のリハをフォーライフで終え、皆で渋谷駅に向かい
私は東横線の改札でバイバイ。
こんにちはとさよならをどれほどこの駅の改札は見ていただろう。

山手線や銀座線、井の頭線への乗り継ぎをして小さな旅を楽しんだ。
これからはもっと便利になるのだけど
当たり前の事として季節のうつろいを肌と目で感じて来たあの駅が
地下に潜ってしまうのはとても残念。

明後日からの東横線・副都心線のスタートを前に渋谷駅には
多くの鉄道ファンがカメラを持ってその姿をカメラに残していた。
私だって思わず撮ってしまうのだからそれは当たり前だね。

時の流れというのはそういうことなのだと思うけれど
渋谷駅が様変わりして乗り継ぎにあたふたしている私の姿がいとも簡単に想像出来る。
は〜、ため息混じり。
当分の間いつもより早めに家を出なくちゃね。


春うらら

今年はかつてないほどの厳しい寒さでしたね。
二人の子供は「冬」の生まれ
生まれて間もない赤ちゃんを早くお散歩に連れて行きたくて
「早く春が来ないかな」と家の中で
うずうずしていたことを思い出します。
長い冬もそろそろお終い。
生けるものすべてが動き出す季節。
この冬は寒さにかまけて冬眠状態で日記の更新も
ここに来てやっとこさ。
皆さまから「いつ更新するの!!」とお叱りも頂戴し、ごめんなさい。です。

去年は12月23日が「Colors」でラストのライブ
翌日はThe Alfeeの武道館コンサートで燃えて
忘年会もちょいちょいやり過ごし
一年の締めくくりとなりました。

ハウスキーピングも見て見ぬふりで過ごした一年を反省し
まずは洋服の整理を!
結構溜め込んでいて、思い切って捨てる!をテーマにチェックスタート。
えええ〜こんなものが、から、やっぱり捨てられない・・まで。
でもかなり捨てました。
思い出も一緒に、なんてね。

お正月に向けて家の中片付けようと
ここ数年明けていないキャビネットの中をおそるおそる開けてみたら
アルバムに貼れなかった写真が3箱も。
家族の懐かしいシーンは一瞬一瞬が切り取られていて
そこですべての行動がストップし
気がついたらとっくに陽が落ちていました。
結局なんの整理も出来ないままそっと元に戻しました。

楽しい思い出もそうでないことも全部私のものだ。

お正月は家族でお祝い、初詣にも行き
新しい一年の
無病息災、家内安全、大願成就、厄除け、商売繁盛しっかりお願いしてきましたが
住所と名前を言わないといけないらしいのですが
後で知ったのでご利益はないかなあ。

去年もツアーであちこちに行かせて戴き
沢山の方との出会いと再会を楽しませてもらうので
忙しくなると家の事がおろそかになってしまうのは仕方がなくて。
だからという訳でもないけれど、暮れから主婦モード全開でした。

上手じゃないけれどお料理は好きで
最近作ってないものに再挑戦しました。
子育ての最中は一日のスケジュールが決まっているので
時間に追われこなすことも主婦の仕事のうちでしたが
今は素材選びから完成までのプロセスをひとつひとつ丁寧に取り組み楽しみたくて。
その時間の流れも味わいたいと思うようになりました。
思考をシフトチェンジするツールの一つが料理なんですね。

いつもの料理にこの素材入れたらどうなる?とか
子供が小さい時によく作っていた「ちゃちゃっとお菓子」にも挑戦。
戴いた林檎を使ってでケーキを焼いたり、ジンジャークッキーを作ったり。
ほうれん草のキッシュもどきも我ながらうまくいきましたよ。
自画自賛。

そこで3月3日のひな祭り&バースデーライブの女性の方のみに
「マドレーヌ」を焼いてお持ちすることにしたのです。
本当はジンジャークッキーの予定でしたが
種が柔らかすぎてハートの型抜きした筈がビョーンとなってしまい大失敗!
これは自宅用になりました。
「ひとりリハ」しながらオーヴンをのぞき込むのも楽しかったです。

今年は家事にも目を向けて楽しみたいと思っています。
何より気分転換になることを再発見。
でも、一年365日キッチンに立って、今日の献立どうしようと
日々格闘している主婦の方には「たまにだから楽しいのよ」と
言われてしまいそうだけれど。
音楽すべての時期から少し変化しているのかなあ。
暮らしの心地良さを求めバランスを考えて楽しみたいなと思う今日この頃です。
うん?
年のせい?

ま、いいや。

ともあれ今年もよろしくお願いいたします。

☆写真は失敗したジンジャークッキーとひとつ残ったマドレーヌ。
林檎のケーキも写メしました(^^)/

okei


忌野清志郎さん「Love Me Tender」

12月6日は「師走恒例六ノ日」
六文銭 ’09のライブだった。
渋谷「七面鳥」に年末のお忙しい中沢山の方にお出で頂き
有り難いことに満員御礼となった。
今回は事前のリハ無しで当日突入。
ソロもやりましょう、となりそれぞれが2曲歌った。
久しぶりに顔を合わせ北海道のこや選挙の話しなどなど
ライブはもちろんだが
六文銭 ’09は楽しい。

小室さんがキングストントリオいいぞ、と話していたことを思い出し
youtubeで「花はどこへ行った」を聴いていたら
忌野清志郎さんの名前が目に止まった。
タイトル「Love Me Tender」放射能はいらねえ。
http://www.youtube.com/watch?v=kLyEg-eXf1g
1988年頃に発売された
RCサクセションのアルバム「カバーズ」より。

♪すこし考えりゃ俺にもわかるさ
放射能はいらねえ 牛乳飲みてえ♪
プレスリーの美しいメロディに乗せて・・

今の日本を見てどう思うのだろう
そしてどんな歌を聴かせてくれただろう。
すごい人だ。

返す返すも残念。


OK’s SQUARE 11th 善はいそげ!

あ〜終わってしまった。
11回目のSQUARE ライブ。

坂崎さんと仕事の場でお目にかかり、その時にひらめいた。
ヒラメイタ!
SQUAREへ出演のお願いしてみよう。
ふたつ返事で「いいですよ」
こちらがあっけに取られるほどトントンと事が運び
マネージャーの方に日程を出して戴くようにお願いしたところ
10月17日と決まった。
ALFEEツアー中の貴重な時間をさいて下さった。
有り難い。
感謝の二文字しか浮かばない。
きっとSQUAREのお客様は喜んでくれるだろうな・・(^^)/

一年間私を応援して下さった皆さまへ感謝の気持ちを込めて
今の私に何が出来るだろう、最高のお返しは何かを考えると
ふっとイメージが湧いて来る。
よし、思い立ったが吉日
そして
善はいそげ!
一年に一度のライブ、次回出来るかどうか神様にしかわからない。
一回一回気持ちを集中して
出来ることをやって行こう。

坂崎さんから「昨日10月16日は加藤和彦さんの3回目の命日だったんですよ」と。
坂崎さんの「イムジン河」は心に沁みた。
「降臨してくれているでしょう」と。
私たちにはわからない深い繋がりがあったと思うと
3年という時間はまだまだ癒すには足りないだろう。

2年前に逝ってしまった横尾さんもきっとあの場に居てくれたと感じた。
終わるまで心配で仕方なかったと思う。
いつもの言葉「かましてください!」がどこからか聞こえて来た。

坂崎さんから「暖かいお客さんですね」と言ってもらえたことがとてもうれしかった。
この言葉を私の誇りとして胸に刻み歩いて行きたいと思う。

okei

最後に
天気予報は気まぐれで
晴から雨に。
雨どころか嵐を呼んでしまいました。
ところが、坂崎さんとマネージャーのTさんが二人揃ってのお仕事は
雨が降るそうで
最強の「雨チーム」となってしまいました。

遠方からも足を運んで下さった
愛する皆さまへは
何度言っても言い尽くせないほど感謝しています。
本当にありがとうございました。

そして我がSQUAREの「チーム手弁当」の皆さま。
今回も我が儘百倍で苦労をかけてしまいました。
皆さんの笑顔をご褒美ということで
お許しいただき
これからもよろしくお願いいたします。


Chigasakiのふたり

8月15日

茅ヶ崎「Bar LANAI」にて
「おけいとふゆみ」
~なぜにふたりは~
ライブ

茅ヶ崎は
ふゆみさんの、ブレバタの聖地という思いがあり
いつになく緊張感を持って訪れた。

リハーサルが終わり、いつもなら軽く食事をするのだが
一晃くんも私もリハーサル前にサンドウィッチを食し
お腹すいてなくて
ふゆみさん「歩いてすぐだから海に行ってみる?」との言葉に
一瞬にして胸がキュンとなった。
海が見られるなんてあまりに思いがけず
いや、茅ヶ崎→海、だと思うけれど
仕事で来ているとどうも余裕がないみたい。

ふゆみさんが中学校まで育ったこの町。
「ここ通学路だったんだ」
思い出がいっぱい詰まった茅ヶ崎。
子供の頃のお話しを聞きながら
茅ヶ崎のリズムとテンポでLANAIから海まで3人でゆっくり歩いて行った。

ここは遊泳禁止なんだね。
烏帽子岩が見える。
真夏の砂浜には人も少なく
海風がからだを抜けて行き
知らないうちに溜まっていた澱のようなものを
風が持っていってくれ身体が軽くなった。

風と波の音は私を優しく包み込み
ふゆみさんの思い出話と重なるように
子供の頃を思い出した。

夏休み、家族で行った海
泳ぎが得意な父は
泳げない私を背中におぶって沖まで連れて行ってくれたが
海で泳いだ経験のない私は、顔に波がかかりうまく呼吸が出来ない。
波が怖くて、帰る、と言って泣いて困らせた。
母はそんな私を、砂浜のパラソルの下で
微笑みながら待っていてくれた。
痩せた父の背中は大きかった。
あれはどこの海だったのだろう。

ちょうどサンセットで
日が沈む一瞬を撮影することに成功。
富士山のシルエットを眺め
波打ち際での「ふたり」を撮影し
LANAIへ。

そんな最高の気分で歌える幸せを
あの場に居たすべての方と分かち合いたいと思った。

photo by
keikoyosumi


8月15日

茅ヶ崎の海岸にて
祈りをこめて・・。