カラッポ日記一覧

私の住む町

私の住んでいる町は
都心のターミナル駅から電車で約10分。
どこに行くにも便利なところだ。
一つ前の駅と一つ先の駅は急行が止まり
おしゃれな洋服屋さんやカフェもたくさんある。
休日には地方から遊びに来る人が多く
街は人で溢れとても賑やかだ。
その間に挟まれた我が町は 駅前商店街・・あったっけ?
日用品の買い物はこの辺りで賄えて便利〜なわけでもない。
日曜日もいつもと変わらずのんびりしている。
そんな町に住んで早24年。
あっと言う間に子供達も成長しすっかり根をはやしてしまった。
子供達の友人が時々遊びに来て大人の挨拶をされると
昔のように軽口をたたけなくてどきまぎしてしまう。
「だれだれが結婚するよ」とか「赤ちゃん生まれたって」
なんて話を耳にすことが多くなり
みんないつの間にか大人になっていた。

大きな街に挟まれたお陰でこの町は
おちこぼれ、のんびりしている。
駅前には古くからの酒屋さんがあり
そこのおいちゃん(ったってそんなに年はかわらないかも)
セレクトの日本酒はもちろん
ワインがたくさん並んでいて安くて美味しいものを選んでくれる。
地元の人が通う雰囲気の良いこじんまりとした
フレンチレやイタリアンのレストラン。
中国人が腕をふるうリーズナブルで美味しい中華料理も食せる。
甘い物に目がない私に「しあわせなひととき」を与えてくれる
目に美しく美味しい和菓子屋さんやケーキ屋さん。
大通を挟み隣の区まで続いている桜並木や
ふと足を止めて深呼吸したくなる散歩道が季節の風を運んでくれる。
そこで交わす挨拶や立ち話。
どこにでもある風景だけど
きらきら輝いて見える。
ちょっと不便だしおしゃれでもないけど
24年前と大きく変わらないでいてくれる。
私が大阪を愛するように
子供達はこの町を愛し故郷となるのかな。
この町が好き、って思った。


プリンター

お正月も終わり、お祝い用の器やお飾りも片付け
ほっとして、机の回りを見渡すと
使い慣れたプリンターに目が行った。
わたしのような機械おんちにはとても優しくぴったり息も合い
随分とお世話になっていたが
コマーシャルを見てこのものたちの進化に気付き
「ネットショッピング」という方法で
新しいプリンターを買うことに決めた。
好奇心はあるのでいろんなサイトを覗いてはみるものの
どうもネットでの買い物に違和感があり決断できずにいた。
・・どうするどうする、ホントに買うの?
でもさ、個人情報流出するって言うよ。
やめる?でもこれあると便利だよ〜・・出た、ひとりごと。
内心ドキドキしながら決定ボタンをクリック出来たのは
わたしでも知っている大手のサイトであったことと
どひゃ〜新製品でこの値段??
○amada電気でもムリでしょっ。
が決めてとなった。
3日ほどで到着。
接続はわたしにはムリなのでそれに長けた友にご飯付きでお願いした(^^)
こやつはすぐれもの。
スキャンなるものが登場し、いつも譜面のコピーとなると
コンビニに走っていたがそれをせずに済むのだ!
苦手とは言ってもお世話にならずには暮らしていけない。
素直に入っていけるとこんな便利なものはない、ということにもなるのだから
今年2010年はそんな気持ちで機械に向き合っていこう。
次は、iPhoneかな(^_-)
今まで付き合ってくれたプリンター、ありがとね。


2009年、ありがとうございました。

12月23日巣鴨「手風琴」で今年の私のライブ活動を終えた。
なんとなく数えてみたら81本。
多ければ良いというものではないが
よく頑張ったと誉めてやることにした。
今年は六文銭 ’09「おとのば」のレコーディングから始まり
ツアーツアーの日々。
しかし、なんと言ってもファーストアルバム「初恋」のレコーディングが
実現したことが今年最大の喜び、叫びたい気分だ。
タイトなスケジュールで体調を崩した事もあったが一年を締めくくる今日
充実感と幸せ感で満たされている。
レコーディングは今思い出してもわくわくする。
プレッシャーと緊張感でどうかなりそうなスタートだったが
日を追うに連れ、楽しくなり終わってしまうのが残念でならなかった。

今回楽曲を書き下ろしという形で提供して下さった3人の巨匠。
小室さん、恒平ちゃん、そして常やん。
ギター、マンドリン、ヴァイオリンでレコーディングに参加して下さった
佐久間順平さん。
素晴らしいピアノと5曲のアレンジを手がけてくれたSinさん。
楽曲を提供してくれた細木さん&利江ちゃん。
同じく楽曲提供、胸に響くギターを弾いてくれたた香真良くん。
ベースの大原さんと須藤くん。
そしてギター古橋一晃さん。
アレンジをしてくれたMOZくん。
エンジニアのモカちゃん、杉山くん。
プロデューサーの常富さん。
ディレクターの大原さん。
衣装のスタイリングをしてくれた友人の田辺三千代さん。
私にこのような機会を与えてくれた
太っ腹の「フォーライフレコード」後藤社長!
そして最後に、この一年私の歌を聴いて下さり支えて下さった
皆さまに心から感謝の気持ちを伝えたい!
この気持ちをどう表したらいいのか。
来年も「初恋」を鞄に詰めて日本中歌って歩きたいと思う。
出会いと再会に乾杯、一年間頑張ってきた私にも乾杯!

温かい声援を送ってくださった皆さまへ
一年間、本当にありがとうございました。
来年も私らしく歌っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください♪♪

四角佳子

写真についいて。
今年猫の皆さんとツアーに行った北海道で撮った大好きな牛の写真です。
今年は丑年でしたが2009年さよなら!です。
草履がおしゃべりしているみたいでしょう。綺麗な鼻緒の色にも魅せられ
カシャ。


おつかれっ!

乾燥した日が続いたせいか
やけに唇がかさかさしていた。
リップクリームを塗れば解消するのに
ここ三日ほどそうならず
あ、これってもしかしたら・・
一年ほど前にも同じような状況になったことを思い出す。

近所の皮膚科で診てもらうことにした。
昨日は前日とはうって変わって肌寒く
桜並木も表情を変え葉桜だ。
若葉が風にゆられ気持ちよさそう
町の様子をうかがいながらゆっくり歩いた。
新しい家が建ち始めている。
どんな人がやってくるのだろう。
この町で新しい家で楽しい日々を!

クリニックは混雑していて
待つことをか・く・ご。

分厚くて重い婦人誌を手にし
ページをぱらぱらめくり時間をやりすごす。
アンチエイジング特集に目が貼りつく。

一年ぶりの診察。
わたし 「数日前から唇がかさかさして、リップクリームを塗っても
つるっとしないカ所がありまして」

先生  「はい、では見せてください」
「うん、ありますね・・前回と同じかな、口唇ヘルペス
疲れが溜まり身体が弱ってくると出ますからね」

わたし 「あ、やっぱり」
「・・」

先生  「お薬出しておきますね。湿布薬と抗ウイルス剤です」
「しっかり身体を休めてね」
わたし 「はい、ありがとうございます。
気を付けます」

先生  「薬は出した分きっちり飲まないと治りませんよ」

わたし 「はい!」

女医さん、素敵な先生だ。
はっきりとものをおっしゃるが
その言い方が素敵。

とまあ、こんな訳で。
でも大丈夫、今回は早めに手を打ったから。

その後、渋谷での用事をささっと済ませ
デパートへ。
「諸国名物味まつり」やってる〜
わさび漬けや
生の桜エビ
京都のお豆腐や生麩
美味しそうなパンも
どうしても関西のものに目が行ってしまう。

お、息子が好きな「バナナカステラ」がある〜
お店の人曰く、「うちが元祖なんです。よそさんとあんこが違うんですよ」
よろこぶかな。
ああ〜母が好きだった生姜が入ったお煎餅も・・
お供えしよう。

家庭用品の階に降り春色の綺麗なハンドタオルを二枚買う。

地下食品街で試食させてもらったプリンはジョエルロブションだとか
とろ〜りクリーミーでリッチ
なめらかな舌触りで撃沈!二個ゲット。
これは病院帰りの私へのご褒美ということにしよう。

いよいよ来週は「おとのば」が発売される。
ツアーも始まるし、しっかり準備しなくちゃ。


年の初めになんですが。

ふと納豆について書きたくなった。
でも何も今日でなくても・・
今日は
米国歴史上始まって以来初の黒人大統領が誕生した
歴史的な日なのに。
変かなと思いつつ、忘れないうちに。

私が子供の頃
不幸なことに我が家には「朝ご飯に納豆」という習慣がなく
(大阪という土地柄かもしれない)
今でこそ、どこのスーパーでも置いてあるが
東京に来るまで実物を見たことがなかった。
テレビで見かけた朝食のシーン、ぐるぐるかき混ぜた納豆を
ご飯にかけるとねばねばと糸をひき・・一気に掻き込む。
「東京の人は朝からなんやけったいなもん食べてはんねや〜」

十数年後、
そのけったいな藁に包まれたお豆さんと出会った時の衝撃たるや
なんと表現して良いか。
テレビでは匂いは伝わらないから。
「これはアカン・・」(すみませんm(_ _)m)
出会いは最悪だった。

食べないまま数年が経ち
ある日、友人達との集まりで納豆のことが話題になり
食べず嫌いだと伝えると
それは不幸なことだと、速攻あるお店に連れて行かれた。
「騙されたと思って食べてみて!」と言われ
目の前に出された納豆をおそるおそる口にしてみたら
ガ〜ン、目からうろこ!美味しかったのである。
その日から人生観が変わったのかも。
「ルックスやないな」

一目惚れした、いやひと味惚れした納豆をご紹介したい。
「五色納豆」
六本木の瀬里奈の脇を入ったところにある
「わかば」という割烹の名物である。
顔がちっちゃくてハンサムな板前さんの
威勢の良い声と優しい笑顔に魅せられ
そして、五色納豆に魅せられ何度も通った。
今で言うオーナーシェフは
ちょっとゴツっとした、素敵な職人さんの手を持っていた。
その手から創り出される料理はどれも見事だった。

材料:叩いた納豆とお刺身のマグロと烏賊
キュウリと沢庵 全て5ミリ角くらいに切り揃える。
紫蘇も入っていたような気がするが定かではない。
卵黄と葱、海苔。
芥子や山葵を入れ醤油を適宜たらし
一気にかき混ぜる!!
口に含むとそれぞれの素材がやさしく主張し
沢庵とのコラボには参った。
ご飯がなくてもこれだけでおつまみになる一品。
今やそんな贅沢な納豆でなく芥子と葱と醤油だけでOK!
お豆腐と共に欠かせない食材である。

その土地による食文化の違いは興味深く
あれ以来食べず嫌いを無くすべく
どんなものでも一度はチャレンジすることにした。
「わかば」も今は4人の息子さんに板場を任せているようだ。
あのお父上の味と心意気も受け継いでくれていることだろう。
おっと!自家製の腸詰めも最高だと付け加えておこう。
ウン、近々行けたらいいな。
簡単に作れるので皆様もお試しあれ。

注:写真は「わかば」の五色納豆。
http://www.roppongiwakaba.jp/


振り袖

晩秋の北海道ツアー5日間のライブを無事終えた。
腰痛を抱えたままのスタートだったが
大事に至らなかったのはラッキー。
3月「まる六怒濤の6日間ツアー」の経験をしていたせいか
余力があったのには驚きだった。
猫のメンバーも「もう一日行けるぞ」と還暦の二人が言う。
これが人間力というものなのか、次への力となる気がする。

帰って一息つきメールのチェックをしたら
姉からの便りがあった。
四角家の長女で年の離れた姉。
物心ついた時にはもう東京の大学に居たので
日常の係わりというよりも
夏休みやお正月に帰って来た時のことが鮮明に残っている。
久しぶりの帰郷、側に寄ると香水の良い香りがし
当時東京で流行っていたと思われる洋服に身を包み綺麗なパールの
マニキュアをし、末っ子の私には憧れの存在だった。
何より「東京」のおみやげが嬉しくてどれも大事なお宝だった。
たれ耳の黒い犬のぬいぐるみはミミちゃんと名前を付けた。
その子は何故か鼻に蜂がくっついていて長く生活を共にした。
薄いブルーと白の毛糸の手袋。
ピンクと白のギンガムチェックのカバーの付いた夏用の手提げ籠。
バレエのお稽古に持って行った。
まだ見ぬ大都会「東京」の匂いがたまらなく刺激的で
東京へのあこがれを抱きはじめたのはその頃だった。

その姉から娘の娘、つまり「孫」の成人式を迎えるにあたり
振り袖を貸してという内容だった。
その一言でスイッチが入り 奥にしまってあった
着物一式を取り出し 広げてみることにした。
振り袖、長襦袢、帯、半襟、帯揚げ、帯締め。
伊達締めは母が使っていたものだ。
どれも懐かしくきらきら輝いて見えた。
確か中学生の頃に作ってもらった中振り袖の着物。
ついでに虫干しをしながら眺めていたらいろいろなことが蘇った。
その着物を着て兄の結婚式で日本舞踊を踊ったこと。
大晦日に髪を結ってもらい お正月は
親戚の家にお年玉目当てでご挨拶に行ったこと。
袖をふりふりスキップしながら帰ったっけ。
娘が13才の時息子が七五三のお祝いで
その晴れ着を着て家族で撮った記念写真。
着物は一代で終わらず手入れさえしていれば
何十年と生き続ける貴重な日本の文化だなと普段忘れていることを
思い出させてくれた。

そんな着物を姪の娘が着てくれるなんて。
こんな嬉しいことはない。
姪も成人式の時に着てくれたっけ。
ということは四代目だ!

思いを込めて作ってくれた両親
特に母がきっと喜んでくれていると思うと
なんだか嬉しくて・・。
窓を開け放し風を通すと絹のいい匂いが鼻先をかすめる。
母の匂いだ。

私も母だけどあんな風に大きな愛子供達をで包んでやれてただろうか。
いつも目の前のことで精一杯で思いがあってもしてやれなかったことが
たくさんある。
ごめんね。

かなこへ
そんな晴れ着を着て迎える成人式。
どうか良い日でありますように。
そして 楽しいことがたくさんありますように。
素敵な大人になってね。

ケイたんより。


わすれもの 2

真夏のツアー、今年は暑さと雨が交互にやって来て
体力勝負だった。
8月22日上越、23日は弥彦へ「猫」とのジョイントツアー。
新しい出会いと共に新鮮な気持ちでライブを終えた。
地元の皆さんの熱くて優しい気持ちに大きく包まれ
一期一会とは異なる出会いと感じる。翌週の30日、31日の初の北関東でのソロライブ
香真良君にお願いして車で行くことにした。当日の朝、前橋までの地図がないことがわかり
急ぎPCの地図を数枚コピーをした。
香真良君が迎えに来てくれ
その地図を渡し目的地に向かう。
女性は地図を見るのが苦手と言われるが私も例に漏れず
苦手中の苦手。
運転している香真良君からある場所を「探してください」と
地図帳を渡されたがお手上げ状態。
そもそも私がナビゲーターであることが
間違いだと判明したが時すでに遅し。
「えっ!なに、地図?ちょっと待って、あら、字がちっちゃい・・ごめん、だめだわ」
そんなこと言ってる間に車は高速道路をどんどん進んでいる訳だから
あきれてモノが言えない状態の香真良君。
運転しながらも巧みに探しあてた。やるね。
感心するだけで隣に座った私はまったく役立たず。
しかもホテルまでの地図を忘れるありさま・・
文句の五つや六つ言われても仕方ないのに。

初日、前橋「音処きしん」でのライブを無事終え
皆さんと乾杯し時を忘れ色んなお話をさせていただいた。
こんな時間を過ごせる喜びは格別でいつもよりお酒が美味しい。
初対面と思えないのはきっと音楽が繋いでくれるのだろう。
再会を約束しお店を後にした。

その夜の宿で一人でひと騒ぎ。
部屋のドアに鍵をさしたままだったことを忘れ
冷や汗300%で探したが、過去の経験のお陰で
ものの10分で探し当てた。
(1月の北海道では一晩さしたままだった)
教訓は活かされた。

翌日は栃木県佐野市「Dining bar Ken」でのライブ。
数日豪雨で悩まされていたが その日の朝は晴れて気持ちの良い日だった。
名物「佐野ラーメン」を食べる約束をしていたが
まだ時間があったので「アウトレット」に行くことにした。
思った程待たされず駐車場に入る。
それぞれ目的のお店が違うので、後で合流することになった。
私は日焼けしないようパラソルの下に座り
アウトレット内の地図を眺めていた
(こういう地図は動物的カンでなんとかわかる)
携帯のチェックをしようとバッグから取り出したら
留守電が入っていた。
ホテルに花柄の袋がベッドの上に置き忘れてありました、とのこと。
まさか!部屋を出るとき忘れ物がないかチェックした筈なのに
大大ショックだった。
朝起きてからチェックアウトするまでの行動を思い返してみたが
どうにも忘れた記憶がない。
ベッドカバーと同化していたとしか思えない。
置き忘れた花柄の袋には
なんとその日に着る「衣装」が入っていたのだ。
教訓は活かされてなかった。

皆に言ったらきっと笑うだろうなって思った。
そんなこと考えてる場合じゃない、けど、ちょっと待って。
ここはどこ! アウトレットではないか!!
神様は私を見捨てなかった。
忘れ物は送ってもらって、ここで探せば良いのだ。
そうなると目の色が変わるのが「おんな」ってもので
夏物は捨て置き秋物を物色しゲットした。
気分はるんるん。
アウトレットから見上げた空は綺麗なブルー
雲が高く秋の気配が感じられた。
偶然にも友人と再会したことも書いておかなければ。
その後皆で食したラーメンの美味しかったこと。
これだから旅はやめられない。
転禍為福。

*写真は「北むら」で食べた悟空ラーメン
*アウトレットから見た空
*車中から撮った田んぼ


1エーカー

「おけいのカラッポ日記」というタイトルを見ながら
ため息をつく・・
こんなに間隔が空いてしまって日記じゃないね。
タイトル変えた方がいいよね。
今年もすでに5ヶ月経っている。
年を追う毎にスピードは増していく、時間の経過・・
間に合うのかなあ
何が?
なんだろう
間にあわなくてもいいか。

なんて独り言も増えてる。

つい10日ほど前、久しぶりに子供達と食事をした。
息子は仕事が忙しいせいもあって
いつも「無理かも」という返事が返ってくるので
二人でご飯だと思いこんでいたら
やつから今どこ?と電話があり合流し
久しぶりに三人での食事となった。
子供が幼いころは家族そろって食事に行くのは
ごく自然なことだったがそれぞれ成人となった今
それもなかなか出来ないのが普通のことで
忙しく子育てに追われていた日々が
懐かしく愛おしく思えてくる。

娘がチョイスした青山のとあるビルの中にあるイタリアン
なんて言うと高級なイメージを持つかもしれないが
木をふんだんに使ったぬくもりのある
カジュアルでリーズナブルなお店。
娘が友達と来るお店らしい
彼女達どんな話をしているのだろう。

三人で飲んで食べて昔の話をたくさんした。
やはり話題の中心は小さかったころのこと。
中でも面白かったのは
娘が小学生の頃キャンディキャンディというアニメが流行り
そのキャラクターがついている洋服を欲しがった。
よくせがまれたのを覚えている。
「YちゃんやKちゃんも持っていて私だけだよ、持ってないの〜(涙)びぃ〜」
そうは言われてもどうしても買う訳にはいかないと当時はかたくなに
拒否をし「じゃキャンディキャンディのパンツ買ってあげるからね、ね。」でなんとか切り抜けた。
息子はガンダムの絵が書いた運動靴が欲しかった。
これも拒否。
幼稚園のお友達がはいている靴を隣に座ってじ〜っと見つめていた姿は忘れようとしても忘れられない(笑)
今思えばどうってことないのだけれど若かったせいか
こだわりたかったのだと思う。
そういうことは記憶に残っているものなのだと微笑ましく
当時を思い起こしていた。

娘がやおら大きな紙袋を出し「はい、ふたりからママへプレゼント」と手渡された。
ハンカチかストールかなと想像しながらパッケージを開けてみたら何やら英字で証書のようなものが。
1枚目「・・Real Estate」なる文字が目に入り「・・??」
2枚目「Lunar Map」「ルナ〜〜〜??」
Lunarって・・・・・「月?」
なんと月の土地の権利書だった。
月の地図が書いてありそこには私が所有したらしい場所が
赤い点で記されていた。
1エーカーだそうだ。
4050㎡
天文学的な数字でどれ位の広さなのかさっぱりわからないけど
広い〜!
地球の地図で言うとアフリカのアンゴラやコンゴのあたり。
月なのに地球と比べるのも変だねと笑った。
私は子供達から大きな夢をもらった。
月は誰のものでのないし
私が生きている間には行けそうもないけど
地球がこわれそうになったら
皆で月へ行こう。
1エーカーもあるのだからかなりの人を連れて行けるね。
もしこわれなくても
「私の終の棲家はこれで決まり」と言ったら
二人の笑顔がそこにあった。
ありがとう。
すぐそばで誰かが見ていたような気がした。


はじまりはじまる

2007年10月24日(水)
この日の来るのを待ちわびていた。
2000年、恒平ちゃんに再会しなかったら
今日のこの日はもちろん、まる六で私が歌っていることはない訳で。
人の巡り合わせが人生を変えるものとは知ってはいたものの
私の場合、それは劇的としか言いようがない。

再度、おそるおそる音楽の世界に足を踏み入れ
出会いから7年もの歳月が流れた。
まる六がそれなりに活動し出したのはここ4年〜5年。
2002年の後半から少しづつ1年に4本くらいから始まり
本当に徐々に、である。
いつの間にかソロでも歌う機会を与えてもらい
いつの間にかCDを出そうという事になる。

CD制作については今年の6月
マンダラでのライブが終わってからの
ことと記憶しているがそこからスタートだった。
この夏の猛暑のさなか、数回のリハーサルを経て
7月22日から4日間のスケジュールで
レコーディングすることに決まった。
世田谷にあるスタジオ。
3人が入るととても窮屈に感じたけれど
日を追うごとに慣れてきて
くっついて演奏し歌うことの楽しさは倍増し
その狭さに愛着すら感じたのも興味深いプロセスだった。

ライブでは何度となく歌ってきた歌
新しい歌
六文銭時代の歌
それぞれ
今ある音に反応し新しい発見がある。
そうだ、いつも同じな訳がない。
ヘッドフォンはしないので
生音が頼り、両隣のお二人の歌もギターもよく聞こえてくる。

その為にしなくてはならないことを
小室さんは数十年かけて作り上げて来た。
恒平ちゃんも然り。
私は、二人のしっぽに何とかおっこちないように
つかまっていたら歌っていた、と言う訳だ。

終えて、私はもぬけのから。
達成感とか脱力感・・
暑さのせいもあったかな。
よくわからないけど
どこかを浮遊していたような気がする。

やっと戻って来て
今日の日を迎えられた。
10月24日「まるで六文銭のように」ファーストアルバム
『はじまりはじまる』本日発売。


北陸、関西への旅

地方での連続のライブは広島、大阪以来のことで
まる六の青山マンダラでのライブ翌日から4日連続ということで
体力に自信を持てないまま出かけて行った。
今回のツアーのことを猫の常やんを始め
詳しく素敵に書いてくれている方がおられるので
今回はライブ以外のことを書くことにした。

当初は飛行機で小松までという予定だったが、こちらの都合の良い時間に到着する
飛行機がなく、新幹線で越後湯沢まで行き「特急はくたか10号」に乗り変えて金沢へ。
30数年ぶりの金沢は大きく変わり駅前にある大きなオブジェのような物が目を惹いた。

駅の名店街で喉飴として良いと聞ていた飴を買う。
「俵屋」有名なお店で私も名前は知っていたが
自然で優しい甘さ、添加物を一切使っていない安心感は
心まで潤う気がして嬉しい。
あっさりとした後味の良い飴。懐かしい味がする。

タクシーで初日の「メロメロポッチ」へ。
店主の熊野さんは想像以上にお若くてちょっとびっくり。
笑顔と張りのある良い声で迎えてくれ、ご挨拶もそこそこに
リハーサルに取りかかる。
それぞれチェックし、同行した山猫さんも音を聴きながら
てきぱきと対応して下さった。
お客さんからどのような反応があるのか想像できなくて始めは緊張したが
ゆったりとした空間でそれぞれ楽しんで下さっているのが伝わってきた。
猫はいつものようにテンポ良く進め観客の気持ちをキャッチする。
さすがである。
本番終了後、短い時間だったが皆さんとお話をさせてもらい
後ろ髪を惹かれる思いで金沢を後にし富山へ向かった。

メンバー全員で車での移動は当時を思い出させてくれ
昂揚していたかもしれない。
やけにおしゃべりしていたような気がする。
運転してくれた矢地くんは中村俊介に似た20代の青年で
翌日のPAの責任者だ。
私が隣に座ったのが運の尽き、約1時間、うるさかったよね、きっと。
ごめんね。
その夜はバタンキュー。

翌日、午後町中を散歩。
市内を「ポートラム」が走っている。
どうも私は路面電車が好きで見入ってしまう。
日本海と北アルプス立山に囲まれたこの街はとても穏やかだった。

甘いもの好きな猫のメンバーに「石谷餅や」の
黒砂糖のたれがたっぷりからまったお団子をおみやげに買い
お昼は、これも事前に教えてもらっていたお寿司屋さんに行き
地で捕れた新鮮なネタをほおばった。う〜ん美味。

富山カナルパークホテルではリハもさくさく終え、
北日本放送の「フォークルネッサンス」という番組の取材を受ける。
若いアナウンサー栂安亜紀(つがやすあき)さんがインタビューしてくれた
フォークが大好きで猛勉強していると
仰っていたが、その言葉どおりよくご存知で驚いた。
近頃20代と思われる姿も会場で見受けられ、新たな喜びを感じている。

車窓から琵琶湖を眺めながら走る電車は疲れた身体にとても優しく
旅をしている気分で最高だった。
京都で新幹線に乗り継ぎ神戸に向かう。
帰宅後のリハーサルの折、香真良くんに電車での移動の話をしようと思い
「え〜と、富山から大阪に向かう特急、なんていう電車だったかなあ・・」
と、すかさず「特急サンダーバード号」と説明してくれた。
さすが鉄道好きである。

神戸は元猫のメンバー御守くんのお店でのライブ。
御守くんのことが気がかりだった。
大病から奇跡的に復帰したと聞いてはいたが
力強く楽しそうに歌っている姿をこの目で見て安心した。
猫のメンバーも嬉しそうだった。

タクシーの運転手さんが教えてくれた神戸で一番美味しい
「たちばな」の明石焼きをおみやげに持って行ったが
何のことはない、私が食べたくて買ったようなもの。
地元の人は食べ飽きているだろうに。
でもとても美味しかった。
前回大阪の「ラッズギャラリー」でのライブの時に来て下さった
方々と神戸、大阪で再会でき嬉しかった。
行く先々で皆さんからパワーをもらいそのお陰で
不安だった体調もなんとか保ち、元気で歌えた。

宿舎の近くに南京町があり
翌日ぶらぶらし昼食前に中国茶を楽しんだ。
味も香りも日本茶とは異なる世界、香りと味を楽しむ為のセレモニーと言うか
演出というのかゆっくりとした時間が流れ優雅な気分になれる。
さてお昼は当然中華料理。
10品とデザートランチメニュ、全員綺麗にたいらげた。
食事中大雨になったが、初日からの不順な天候をうまくすり抜けられた
のも幸運としか言いようがない。
お腹も一杯になり幸せな気持ちで大阪「ヒポポタマス」に向かった。
しかも乗り込んだ電車は全車両スパイダーマンの絵が描かれていて
「これに乗りたい〜」まるで遠足気分である。
ヒポポはJR安治川口にあるライブハウス。
ご主人とはマイミク仲間ではあるがお目にかかるのは初めて。
不思議、初対面とは思えなかった。
ふと目を上げるとそこには高田渡氏の写真が貼ってあって
ステージからは丁度正面。
本番中、何度となくそこに目をやっている私がいた。

4日間のツアーはあっと言う間だった。
東京駅で、三つの荷物(ギター、バッグ、ガラガラ)が
お弁当を買ったが為に四つになった途端、
例のガラガラを忘れそうなりはしたが、寸前天の声が聞こえ
なんとかセーフ(三つ以上は記憶が消える?)
出かける前にあれだけ忘れ物しないように、車のトランクに
荷物をいれないようにと、ご心配いただき、今回は絶対に
忘れないとチェックしたつもりが最後の〆とでも言うべきか・・
ヒポポタマスにパーカーを忘れてきた。
あ〜いやんなっちゃう。
クール宅急便で送るで〜と、大王さまからのメッセージ。

お手数おかけしました!